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関ケ原前夜、細川ガラシャが没~今日は何の日

7/17(月) 15:10配信

PHP Online 衆知(歴史街道)

慶長5年7月17日

慶長5年7月17日(1600年8月25日)、細川ガラシャが没しました。明智光秀の娘で、細川忠興の正室として知られます。
ガラシャは洗礼名で、諱は玉もしくは珠。 永禄6年(1563)、玉は明智光秀の三女として、越前国で生まれたといわれます。当時の光秀は越前朝倉氏に仕えており、まだ将軍となる足利義昭とも出会う前の頃でした。その後、織田信長に仕えることになった光秀は、天正6年(1578)、信長の勧めで娘の玉を勝龍寺城主細川藤孝(幽斎)の嫡男・忠興に嫁がせます。玉、16歳の時のことでした。玉は大変美しく、忠興との夫婦仲も睦まじくて、翌年に長女が、翌々年には長男が誕生しています。この頃が、玉にとって最も幸せな時期であったのかもしれません。
天正10年(1582)、本能寺において光秀は主君・信長を討ち、丹後宮津城に移っていた細川藤孝に協力を求めますが、藤孝は拒絶。光秀は山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れた後に落命し、玉は「逆臣の娘」として、生まれたばかりの子供とも離されて、丹後味土野(現、京丹後市)の山中に幽閉されることになります。忠興が離縁にまでは踏み切らなかったのは、玉への愛情ゆえなのでしょう。幽閉された玉には小侍従をはじめ数名の侍女が付き添いますが、その中に清原いとがいました。いとは後にキリスト教に入信してマリアと称する人物です。
天正12年(1584)、幽閉を解かれた玉は、大坂城下・玉造の細川屋敷で暮らすことになりました。しかし、そこで夫・忠興が側室を持ったことを知り、また忠興が異常に嫉妬深く、玉を他人に見せたくないがために、外出を一切許可せず、玉は屋敷内に逼塞することを余儀なくされます。そんな折、夫・忠興が高山右近から聞いたとして語ったキリスト教の教義に、玉は密かに関心を抱くようになりました。
天正15年(1587)、夫・忠興が九州征伐に出陣すると、玉はかねてから念願していた教会に、侍女たちとともに姿を隠して訪れます。
「苦しみの闇でこそ人の光は美しく輝く、そして感謝の気持ちで受け入れる」
神父の言葉に感銘した玉は、日本人のコスメ修道士にさまざまな質問をして、「これほど明晰で果断な日本女性とこれまで話したことはなかった」と修道士を感嘆させました。玉はその場で洗礼を受けることを願いましたが、身分を隠していたため、教会側が見送っています。玉とすれば、教会を訪れる機会が今後あるかどうかも分からず、必死の思いだったのでしょう。屋敷に戻った玉は、侍女たちを通じてその後も教会とやりとりを続け、やがて侍女の清原いとが受洗し、清原マリアと称しました。しかしほどなく、秀吉がバテレン追放令を出したことを知ると、玉は宣教師たちが去る前にと、イエズス会のセスペデス神父の協力を得て、清原マリアから密かに洗礼を受けます。洗礼名ガラシャは「神の恵み」という意味でした。「苦しみすら感謝の気持ちで受け入れる」ことを説く、キリスト教の教えに救われたのか、玉はその後、謙虚で明るい性格を取り戻していきます。
しかし、苦難はまたも訪れました。九州から帰還した忠興は、玉の侍女たちが洗礼を受けていたことを知ると激怒し、一説に彼女たちの鼻を削いで屋敷から追い出したといいます。そして玉に向かって、自分は5人の側室を持つと言い放ちました。心を痛めた玉は密かに宣教師に、夫と離婚したいと相談しますが、「困難に向かってこそ、徳は磨かれる」と説得され、思い留まります。
慶長5年(1600)、関ケ原合戦が勃発する直前の7月16日、徳川家康に従って上杉征伐に向かっている諸将の妻子を人質とすべく、石田三成が動きました。細川家も当主・忠興が家康とともに従軍しており、細川家にも指示に従うよう三成が申し入れますが、留守を預かる玉はこれを拒みます。翌日、三成は兵を送って細川屋敷を囲ませ、力づくでも従わせようとすると、玉は捕らわれて恥を晒すよりも、死を選びました。しかし、キリスト教では自殺を許さないため、玉は家臣の小笠原少斎に命じて、部屋の外から槍で胸を突かせたといいます。辞世の句は、「ちりぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」。享年38でした。
それからおよそ100年後の1698年、新作戯曲「気丈な貴婦人」がオーストリア・ハプスブルク家宮殿内のホールでオペラとして上演されます。その戯曲のモデルは、イエズス会の宣教師たちが伝えた細川ガラシャでした。玉の運命はハプスブルク家の女性たちに共感をもって迎えられ、「貴婦人の鑑」と呼ばれて、マリア・テレジアやマリー・アントワネットにも影響を与えたといわれます。

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