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「だからつぶれるんだ」 傲慢だったJAL、そう言われて当然 大西会長

7/17(月) 12:10配信

NIKKEI STYLE

■1991年から技術部の課長補佐として、93年からは生産計画グループ担当課長として旅客機整備の高度化に挑んだ。

 ※日本航空会長・大西賢氏の「私の課長時代」後編。前編「『烏合の衆』ではダメだ! JAL会長が直面したジャンボ機事故、先輩にも指示」は記事下の【関連記事】からお読みいただけます

 当時は米ボーイングなどメーカーが決めた要件で機体を整備していました。ただ、それだと無駄や不安がありました。例えばスクリュー式の可動部。時間の経過とともに部品のかみ合いが緩くなるため、一定の隙間に直します。整備士によって高精度でこなす者と超高精度でこなす者がいます。どちらも要件は満たしますが、超高精度の作業は自己満足です。しかしそこには貴重な技術があります。

 そこで超高精度でこなすことで整備期間を延ばせるものは延ばし、細かく点検した方が良いと考えた項目は厳格化しました。湿度の高い日本の環境に合わせ腐食に関する整備はより緻密になりました。手法が変わることへの反発もありましたが、部下と一緒に社内各部や航空局と粘り強く交渉し実現しました。

 こうして培った技術を他社機の受託整備にも応用しました。中国福建省アモイではアジアの航空会社などと共同出資で会社を設立し、我々の整備ノウハウを注入しました。

■97年に経営企画室に転じ機材計画を担当する。

 当時、過剰発注してしまったジャンボジェット「B747―400」の受領残40機と、10機しかなく運航・維持コストがかさんでいた中型機「MD―11」が問題になっていました。単純にB747をキャンセルし、MD―11をグループの貨物機に転換すると莫大な資金ロスが発生します。ボーイングの担当者とは毎日、日本時間の午前6時からテレビ会議をしました。こちらの早朝から会議をすればあちらの夜までに情報を2往復できるからです。すると海外の貨物航空会社が機材を探しているとの情報が入りました。

 3つの機材と3社でパッケージディールを決めました。まずMD―11をボーイングを通じて売却します。ボーイングは海外の貨物航空会社から機体改修の代金を得られます。同時に私たちはB747を当時の最新鋭機「B777」に変更してもらい、出血を抑えることができました。

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最終更新:7/17(月) 12:10
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