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沈着老練さと瑞々しさと 『菊と鬼 剣客同心親子舟』

7/17(月) 6:30配信

Book Bang

 鳥羽亮の新シリーズ「剣客同心親子舟」が、本作品『菊と鬼』ではじまる。
 凶悪で屈強な賊がもたらす難局を、類稀な剣技で斬りぬけ、鬼隼人の異名をとる隠密廻り同心長月隼人。ファンにはおなじみ「鬼」の「剣客同心」に、ほのぼのとした印象の「親子舟」という言葉がつづく。「菊」は、隼人の息子の菊太郎である。「剣客同心鬼隼人」、「介錯人・野晒唐十郎」、「用心棒血戦記」、「火盗改鬼与力」など、物騒なタイトルのシリーズものがひしめく鳥羽亮作品にあって、今回は、これまでとはずいぶん趣きの異なるシリーズ名となった。
 時代小説で、シリーズのはじまりにたちあえるのは、とてもうれしい。鳥羽亮のような、わたしにとって前々から親しんできた時代小説作家の新シリーズならなおさらである。
 しかも書き下ろし時代小説文庫だ。読者にとって、形態と内容の両方で敷居の低い快適さとともに、ここにしかないという唯一性をあわせもつ魅力的な場として、今やすっかり、時代小説の主要なステージとして定着している。
 読者にとって新シリーズのはじまりにたちあうというのは、新たな主人公に目をみはり、その活躍をたのしむことである。そればかりではない。この先どんな苦境におちいり、いかなる危機にさらされようとも、主人公は生きつづける、生きぬくだろうことを、シリーズものは読者に約束してくれる。現代小説にくらべ、はるかに人の生と死とが容易に交叉する時代小説にあって、シリーズものは得がたい希望の形式なのである。
 藤沢周平に導かれて時代小説を読みだしたわたしは、藤沢周平自身の『用心棒日月抄』をめぐる思いを想起しないわけにはいかない。デビュー以来、主人公のほとんどが死ぬか行方知れずとなる暗澹とした結末をもつ「負のロマン」を短篇として書きつづけてきた藤沢周平は、一話完結型の連作長篇『用心棒日月抄』を書くころから、明るくユーモラスで前向きな「正のロマン」を意識しはじめる。一話を超えて主人公(たち)が生きつづける、生きつづけねばならない、いわば小さなシリーズものという形式が、藤沢周平に「正のロマン」すなわち希望の小説をもたらした。そんな『用心棒日月抄』が長期にわたってシリーズ化されたのは、いうまでもない。
 もちろん、時代小説におけるシリーズものは、けっして安心と安堵だけの物語世界ではない。希望の形式という大枠ゆえに、かえって物語内部の起伏は烈しく、凄惨さと暗黒とがつぎつぎに襲来する。動と静、暗と明、安らぎと危惧とがめまぐるしく交叉し、やがてラストでの、生きたいという希望にいたる。これが時代小説のシリーズものなのである。
 つぎつぎに襲来する凄惨さと暗黒──といえば、鳥羽亮作品は、まずこの暗黒で他の作家の時代小説を圧倒する。しかも多くの場合、物語のはじまりの部分にそれがあらわれる。
 凶賊による凄惨きわまりない殺戮である。情け容赦ない所業は、映像化をこばむ凄まじさで描写される。本作品でもかわらない。それは物語冒頭近くの、凶賊による両替屋の番頭益蔵殺しの場面からもはっきりわかる。「切っ先が、益蔵の首をとらえた。/鈍い骨音がし、益蔵の首が横にかしいだ次の瞬間、首から血飛沫が驟雨のように飛び散った。/益蔵は、その場に腰からくずれるように倒れた。悲鳴も呻き声も洩らさなかった。血海のなかに横たわった益蔵は、四肢を痙攣させていたが、いっときすると動かなくなった。息絶えたようである」(「第一章 見習同心」)。
 大柄な武士の振りおろす刀の切っ先の動きを追い、骨の音も聞きのがさず、首の僅かなかしぎもとらえ、その場で血飛沫をあびるような感触をも語り手は克明につたえる。こうした惨劇のリアリズムは、凶賊の一人一人に立ちむかい打ち倒さねば生きられぬ剣客同心たちの真剣なまなざしを先取りしつつ、やがて実際の対戦場面における迫真の描写、鳥羽亮の真骨頂である剣戟の超リアリズムへと収斂する。
「剣客同心鬼隼人」、「八丁堀剣客同心」シリーズほかで長く主役をはってきた南町奉行所の隠密廻り同心長月隼人も、本作品ではすでに五十路をこえ、隠居を意識するようになっている。隼人の息子の菊太郎は十六歳。二年前から奉行所に同心見習として出仕している。隼人から指南をうけ、毎朝剣術の独り稽古も欠かさない。
 あいついで両替商が襲われ、多数の奉公人が殺され、大金が奪われた。菊太郎を大きな事件にかかわらせようと決めた隼人は、菊太郎をつれて探索にあたる。かくして同心天野、岡っ引きたちとの地道で執拗な凶賊追跡がはじまった。
 最初は居場所のない思いに戸惑う菊太郎も、すこしずつ周囲から学び、凶賊との激しい斬り合いに加わるようになる。
 鬼と畏怖される隼人に沈着老練さがます一方、物語には菊太郎の瑞々しさ、凜々しさがゆたかにながれこむ。
 菊と鬼との親子舟が、暗い川面にすべりだした──。
 江戸社会の深い闇をくぐりぬけ確かめられる、希望の新シリーズの船出を、多くのファンとともによろこびたい。

[レビュアー]高橋敏夫(文芸評論家・早稲田大学教授)

角川春樹事務所 ランティエ 2017年8月号 掲載

角川春樹事務所

最終更新:7/17(月) 6:30
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