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明治、大正、昭和天皇 健康と長寿を願う医療体制の歴史

7/18(火) 7:00配信

NEWS ポストセブン

 国民が陛下の健康と長寿を願うなか、「象徴」である天皇は常に特別の医療体制が組まれてきた。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が“玉体”の医療の歴史に迫る。

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 明治時代は天皇といえどもその医療体制は脆弱でした。明治天皇には5人の男子が生まれましたが、4人は亡くなり、生き残ったのは後の大正天皇だけでした。

 明治初期には現在のように専属で天皇、皇族に付く侍医はおらず、そのつど外部から医師が宮城に駆けつけて診察をしていたといいます。医師には漢方医と和方医が混在しており、どちらかというと漢方医に主導権があったようです。

 1889年(明治22年)に大日本帝国憲法の発布とともに、旧皇室典範が制定されると、宮中の医療体制が一変します。常駐する侍医が設けられて東京帝国大学(現・東京大学)医学部出身の医師が務めるようになります。西洋医学の導入です。この前年までに漢方医は全員解任されています。宮城内に侍医寮も作られました。

 当時の侍医はモーニング姿で診察したという話があります。医師が白衣姿になるのは、患者からの飛沫感染や血液感染を防ぐためです。そのような格好で陛下に接するのは失礼だという考えがあったようです。

 侍医がいたからといって、必ずしも現代のような科学的医療が行われたわけではありません。明治天皇は晩年に糖尿病を患い、慢性肝炎を併発しました。そして1912年(明治45年)7月、食事中に倒れ発熱、尿毒症と診断されます。ところが、その後も主に食事を中心とした生活改善にとどまりました。危篤状態になってから、侍医は科学的医療を決断したと言われています。

 近代医療の普及に熱心だったと伝えられる明治天皇に、その近代医療が施されなかったことは皮肉なことです。

◆病名は告知されなかった

 生来虚弱体質で病弱だった大正天皇は、誕生直後から治療を受け続けていました。のちに流行性感冒、肋膜炎、腸チフス、肺炎、尿毒症などにかかり、一時は危険な状態にも陥ります。

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