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ジャパネットたかた発展の陰に、髙田明氏の妻の存在

7/18(火) 12:00配信

BEST TIMES

髙田明さんと二人三脚でジャパネットたかたを創業、運営してきた奥様とは、いったいどんな方なのでしょうか? 

――髙田社長が出会った素敵な人、奥様はどんな方ですか。

 よく働く人ですね。「カメラのたかた」のころから一緒に昼夜問わず働きました。ジャパネットたかたになってからも長い間、総務・人事担当の副社長をしていました。

「カメラのたかた」で支店を始めた頃は本当に忙しくて、妻との二人三脚がなければとてもじゃないですが成り立たなかったと思います。

 こんな時代がありました。フィルムを現像してプリントするサービスをしていて、当日仕上げというのを導入したんです。大手はコストを下げるために一箇所に集めてプリントをしていましたから、そのスピードではできません。わたしはコストでは勝てないけれどスピードなら勝負できると思って、当日仕上げの機械をリースしました。そうしたらフィルムがどんどん集まるようになって、これは大変でした。まだ宴会の撮影もしていた頃ですし、帰ってきてからもずっと写真を現像していました。もちろん、質にもこだわりました。せっかくの大事な思い出の写真が、きちんと写っていなかったらいやですよね。高品質にこだわって、よくないプリントは焼きなおす。つまりスピードと品質にこだわって勝負していたんです。

 それでね、この話をすると妻はいつも「フィルムはわたしが焼いていて、明さんは寝ていたよ」と言うんですね。妻が言うからそうなんでしょう。

 ラジオ通販を始めてから注文もぐっと増えました。その頃、注文内容は紙に手書きで受けていましたから、1000枚、2000枚もの伝票がたまります。それを妻はずっと会社のパソコンに打ち込んでいました。夜の1時や2時に起きてやるんです。電話の注文を受けるパートさんも19時にはみんな帰ってしまうんですけど、電話は21時まで受け付けていたから、自宅に転送して妻が対応していました。

 子どもの学校の関係で、一時期、兵庫県の西宮に子どもと妻が住んでいたこともありました。学校が自宅から通うという条件があったので、わたしが佐世保で「逆・単身赴任」をしている形をとったというわけです。なんとこのときも、電話を西宮に転送して妻が対応していたんですよ。

 でも何度も言いますけど、これが苦労だったかというとそうでもないんですよ。わたしも女房も忙しかったけれど、今を一生懸命に生きていたからできたんでしょうね。苦労とは思っていません。

 そう言えば、本を出すときも反対されたんですよ。本にするようなことじゃないって(笑)。

明日の第十六回の質問は、「Q16.「伝え方」のプロである髙田さんが「伝える」ときに大事にしていることはなんですか?」です。

写真:中倉壮志朗

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