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広島の“炎のストッパー”津田恒実の命日【1993年7月20日】

7/20(木) 11:11配信

週刊ベースボールONLINE

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は7月20日だ。

 7月18日、2位の阪神相手に甲子園で勝利し、開幕から無傷の6勝を挙げた広島の大瀬良大地が、試合後、自身のインスタグラムに次のように書き込んでいた。

「悔しさがすごく残る登板でしたが…一歩ずつ一歩ずつ進めたら。野手の人達にも無傷やんと言われますが、間違いなく野手の皆さんと中継ぎの皆さんと背中を押してくれるファンの皆さんのおかげです」

 確かに8回途中3失点と完ぺきではなかったが、“悔しさ”は勝利投手には似合わない言葉だ。もちろん、大瀬良の向上心あってこそでもあるが、おそらく、心中に一人の大先輩の姿が思い浮かんでいたのではないか。

 自身と同じ背番号14を背負った“炎のストッパー”津田恒実さんだ。今回の登板は、津田さんの命日、7月20日の直前。大瀬良は、これまで何度も津田氏の墓参りをし、16年に右ヒジ痛から287日ぶりの一軍登板を果たした中日戦(マツダ広島)もまた、7月20日だった。津田さんのために勝利を捧げたいという思いは当然あったはずだ。

 津田さんは82年ドラフト1位で広島に入団。1年目は先発で11勝を挙げ、新人王となったが、右手中指の血行障害に苦しみ、登板激減。中指のじん帯移植手術を経て、86年から抑えで復活すると、快速球と闘志むき出しのピッチングスタイルで86年の胴上げ投手にもなり、“炎のストッパー”と呼ばれた。

 91年、脳腫瘍のため退団。一時はキャッチボールができるまでに回復したが、病魔には勝てず、93年7月20日、32歳の若さで死去した。

 座右の銘は「弱気は最大の敵」。それは実は心優しく、不安に襲われがちの自分を鼓舞するための言葉でもあった。

写真=BBM

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