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追悼・上田利治──。現役わずか3年も、情熱で歩んだ「名将ロード」

7/20(木) 11:20配信

webスポルティーバ

 7月1日、上田利治氏(以下、敬称略)が亡くなった。

 私ごとで恐縮だが、小学校に入学した年に阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)が初めて日本一に輝いた。その後、阪急黄金期とともにプロ野球にのめり込んでいった私にとって、上田は強さの象徴的存在だった。

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 そんな上田にじっくり話を聞いたのは、2011年12月。都内の広々とした喫茶店で3時間近く及んだ会話のほとんどは、その2週間前に亡くなった西本幸雄についてだった。

 上田がコーチとして2年間仕え、のちに2人は阪急と近鉄の監督として戦った。西本の誘いにより上田と阪急の接点が生まれたのは、上田が34歳、西本が51歳のときだった。

 あらためて西本の指導について尋ねると、「やっぱり情熱。とにかく野球を愛し、選手を愛していました」と切り出し、こう続けた。

「練習はもちろん厳しいけど、辛抱強く、その選手と一緒になって頑張る。『お前はここまでできるんだから、もう一歩、頑張ってみ』と。要求は高くても、オレのためにここまで......とわかれば選手は頑張る。その空気さえできれば、あとは少々のことがあっても選手はついてくる。西本さんはそういう指導者でした」

 西本についてどんな姿が心に残っているかと尋ねると、「バックネットの前で指導していた姿」と答えた。

「ABCのランクがあるなら、Cランクの選手。つまり、ゲームにはほとんど出ない選手にトスを上げていました。それも毎日選手を替えて、平等に。気持ちを切らさんように、『お前にも期待しとるんやぞ』ってね。自分も熱を持ちながら、相手にも熱を持たせる。厳しくも温かい指導でしたね」

 情熱と愛情──西本らしい話だと思ったが、選手に対する姿勢は上田にもしっかり重なるものだと思った。

 長いNPBの歴史のなかでも日本シリーズ3連覇は、巨人、西鉄、西武、そして阪急しか成し遂げていない。

 シーズンでは歴代7位の1323勝を重ねるなど、たしかに「勝つ監督」の印象は強い。ただ、指揮官としての上田の本質は、選手とともに泥だらけとなり、忙しく身ぶり手ぶりを交えながら声を飛ばす。

 後年、福本豊や加藤秀司に話を聞いたときも、指揮官としての上田よりも、打撃練習、走塁練習に根気よくつき合ってくれたコーチ時代の思い出を挙げた。伸びゆく才能が何より好きな人。そんな印象が強くある。

 叔父は徳島県弁護士会の副会長。上田自身も関西大学法学部出身で弁護士を目指していた時期があったが、広島からの強い誘いに応じプロ入りを決意する。プロ1年目の日南キャンプに六法全書を持ち込むなど、勤勉なプロ野球選手として注目を集めた。

 しかしプロ入り後の成績は振るわず、現役生活はわずか3年のみ。それでも明晰な頭脳、野球への情熱が当時、球団社長だった松田常次の目に留まり、史上最年少となる24歳で専属コーチとなった。そこから8年、広島のコーチとしてチームを支え、最後の2年は根本陸夫監督のもとで知恵袋として力を発揮した。

 退団後は評論家となり、メジャーリーグを視察するなど精力的に動いた。1970年の秋、ワールドシリーズ観戦でアメリカ滞在中、日本から1本の電話を受けた。

「来年、近鉄へ行くことになるから用意しといてくれ」

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