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僕を中国で本気にさせてくれた中東の男性の励まし

7/20(木) 6:10配信

JBpress

 中国に渡ってからの15年間、留学から起業に至るまでの道のりを振り返っている。

 【前回の記事】「あなた社長になりなさい! 中国人妻が僕に命じた起業」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50279)

 張さん(仮名)の日本語学校での勤務も限界を迎え、異国の地で無職になった。しかし、家内の強引な説得と後押しを受けて、上海で会社を設立することにした。「何をするかは作ってから考える!」という中国人の家内のポジティブ思考に押し切られ、事業内容も決めていないまま、社長としての生活が始まった。

■ 何をするか? 

 会社を作るのは簡単だった。さて、問題は”何をするか?”だった。

 勢いで会社を作ってしまっただけに2人ともノーアイデア、それでも2人で一生懸命に頭をひねった結果、思いついたのが「貿易をやる」ということだった。

 だが、貿易といっても輸出も輸入もある。食品も衣料も工業機械も、何でもある。さらに言うなら、ポッと出の小さい会社である僕たちは「貿易」はできなかったのだ。

 国際貿易にはライセンスが必要で、中国では、そのライセンスを持っている会社でなければ国際貿易の取引ができない。だから、僕たちはそういうライセンスを持っている会社を通じて取引をするしか方法がない。つまり、僕たちが始めたのは、正確には「貿易仲介」だった。

 当時はまだ中国の人件費は相当に安く、日本のたくさんの会社が、中国で何かを生産して日本に持ち込みたいと思っていた時期だった。僕たちはそういう日本の会社に連絡をして、中国で実際に製品を生産し、それを日本に送り届ける手伝いをしようと考えた。

 今のようにBtoB仲介をしてくれるような便利なウェブサイトは無かったので、中国の会社と日本の会社がやりとりをして、製品を作り、実際に日本に運ぶためには、間に日本語と中国語が分かる人が立たないとなかなかうまく行かなかった。そんな時代だっただけに、僕たちは「これは絶対うまくいく」と意気込んだのだが、結果から言うと、最初の「貿易仲介業」は大失敗だった。

 失敗した理由はいくつかあるが、ざっと今思い返すと以下のようなことになる。

 (1)貿易の“ぼ”の字もわからない状態なので、何から手を付けてよいか分からず、どうにも身動きが取れない。

 (2)現在のように気軽にメールという時代ではなく、そういった組織で働いた経験も無く、さらにコネも当てもない状態では電話もかけようがない。

 (3)商売をなめていた。

 起業といえば、通常例えば会社で何年か働いてノウハウを貯め、人的なネットワークなどを構築して起業に至る人が多い中で、志高く起業した人が聞いたら怒るような理由で会社を作った我々。当然ながら、ノウハウやネットワークがあるわけもなく、全てが手探りであり、しかもその手探りも触っている場所が合っているのかどうかすら確認しようがない状態だったといえる。

 加えて、今のようにメールやSNSなどでつながりを作ることができる時代ではなく、もっぱら連絡といえば電話やファックスがメインで、しかも我々が中国にいるので、かける電話は国際電話(260円/分)になってしまうことを考えると、リストを手に入れて上から順番に営業電話なんてこともできそうになかった。

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最終更新:7/20(木) 6:10
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