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“代打男”阪急・高井保弘、一世一代の晴れ舞台!【1974年7月21日】

7/21(金) 11:09配信

週刊ベースボールONLINE

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は7月21日だ。

 1974年のオールスター前、阪急の高井保弘に思わぬ吉報が届く。

「監督推薦でオールスターと聞いたときは、みんなワシをだましているのだろうと思ったくらい」

 のち高井はそう振り返った。それはそうだ。64年に阪急入団後、3年目に一軍定着も規定打席到達は一度もなし。いわゆる“代打男”だった。

 この年は開幕から代打本塁打を連発し、6月には通算14本塁打の代打本塁打記録を打ち立てたが、過去の球宴に代打専門選手が選ばれたことなどなかった。パ・リーグを率いた南海・野村克也兼任監督の英断と言えるだろう。

 7月21日の第1戦(後楽園)は投手戦となった。9回裏、パは1対2で最後の攻撃。一死一塁で野村監督は「代打・高井」を告げる。セのマウンドにはヤクルトのエース・松岡弘。オープン戦の対戦で松岡のクセを見抜いていたという高井は「併殺狙いで内角にシュート系を投げてくる」と読んで、まずは軸足の右足を投球とともに引き、読みどおりの球なら左足を開き気味に踏み出して、内角を「ど真ん中」にしようとした。

 2球目、狙いどおりの球にバットを一閃。打球は左中間スタンドの最前列に飛び込む、球宴史上初の代打逆転サヨナラホームランだ。代打通算世界記録27本塁打を放ち、75年からDH制が導入されたことで指名打者のレギュラーとなり、3度のベストナインとなった高井だが、オールスター出場はこれが唯一。第3戦にも代打で出場したが、ストレートの四球を選んでいるので、これが唯一のオールスターでのスイングということになる。

 高井はクセ盗みの天才でもあり、それを事細かに書いたノートを、ある選手から「ベンツと交換しないか」と言われたが、きっぱり断ったという。まさに“黄金のノート”だったのだ。

写真=BBM

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