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三重県・伊勢志摩:海女の伝統と新たな風

7/21(金) 13:48配信

nippon.com

日本の海女は、50年前には全国で1万7千人いたが、今は2000人までに減少した。三重県・伊勢志摩地域では、全国の半分にあたる1000人の海女が伝統的な海女漁を続けている。

初夏の5月の日差しの中、80歳の現役海女・木村政子さんはオレンジ色の足ヒレをひと蹴りし、しぶきを上げて海底に消える。ここは三重県・石鏡(いじか)の岬。岩場から数メートル沖で潜る木村さんが唯一目印にするのは、寄せては返す波に浮かぶ黄色い浮き輪(ブイ)だ。かなり時間がたったように思う頃―実際は1分もたっていないのだが―ブイの横に浮上すると一度に息を吐き、ヒューと「磯笛」を鳴らす。

網袋にアワビ、トコブシ、タコ、サザエなどの海の恵みを収めると、息を整えてもうひと潜り。規定の2時間半の漁を終えると、木村さんはゆっくりした足取りで三日月形の浜に上がってきた。

「今日の海は思ったより濁っていてあまり良く見えなかった。ちょっとがっかり」と網袋を指さして言う。「でも、今が一年で一番いい季節。水は温かいし、アワビも良い値で売れる」

今に続く伝統の素潜り漁

海女が以前身に着けていた白い木綿服はウェットスーツに取って代わったが、カギノミ(片方がカギ状に曲がっている道具)を手に、今も伝統的な素潜り漁を続けている。この地域では、比較的男性より息が長く続き、寒さから身を守る皮下脂肪が多い女性たちが、海女の伝統を守ってきた。

タンクは背負わない。長時間潜ることが可能になってしまうからだ。海女漁は伝統的漁法であるだけでなく、タンクを使わないことで自ら潜る時間を制限する。漁期を定めて水産資源の乱獲を防ぎ、自然と共存する仕組みでもある。

こうして何千年も続いてきた海女漁とそれにまつわる数々の伝統が、このままではついえてしまうのではないかと近年、海女たちは気をもんでいる。若い女性はより安全で楽に稼げる仕事を求めて都会に行き、海女の数は年々減っているのだ。

「20年前に観光施設の仕事で定年を迎え、それから潜り始めた」と木村さんは海女小屋で暖を取りながら語った。小屋は、浜から少し上ったところに流木や石、トタン板で建てられている。中央で薪や流木を燃やし、火を囲む。海女たちは2時間半も潜って冷え切った体をたき火で温める。

「石鏡の女たちは、みんな海女だよ。他の仕事なんてなかったからね」と木村さんは、肩をすくめて言った。「ここは、隣町からずっと離れていて昔は交通の便なんてなかったから、まるで陸の孤島だったよ」

木村さんはマスクとウェットスーツを外につるすと、トコブシの入った網籠を肩に担いで市場に向かった。

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最終更新:7/21(金) 13:48
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