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稀勢の里の今後は? 7場所全休経験のある貴乃花親方を直撃

7/22(土) 16:00配信

NEWS ポストセブン

 横綱昇進を果たした稀勢の里が、わずか在位2場所で現役続行の土俵際に追い込まれている。故障を抱えたまま強行出場した名古屋場所では、2場所連続となる途中休場となった。

 かつて「大関互助会」や無気力相撲がはびこっていた時代に、ガチンコ力士として孤軍奮闘したのが横綱・大乃国だった。

 1989年9月場所、右ひざを痛めていた大乃国は横綱として史上初めて7勝8敗と負け越し。1990年1月場所では8勝7敗と辛くも勝ち越したものの、千秋楽の千代の富士との取組で左足靱帯を断裂する大ケガを負った。その後は4場所連続で休場。同年11月場所に復帰すると3場所連続で2ケタの星を挙げるものの、1991年5月場所を全休。翌7月場所の中日までを4勝4敗として、ついに引退を決めた。

「横綱在位23場所中、優勝はわずか1回。同じガチンコの道を歩む稀勢の里に、この大乃国の姿を重ねる角界関係者は少なくない」(前出の協会関係者)

 さらにいえば、平成の大横綱であり、同じくガチンコの道を貫いた貴乃花を想起させるところもある。

 貴乃花の最後の優勝となったのは2001年5月場所だった。この場所で貴乃花は、14日目の武双山戦で右ひざ半月板を損傷。とても土俵に上がれる状態ではなかったが、貴乃花は周囲の反対を押し切って千秋楽に強行出場する。結びの一番では武蔵丸に敗れたものの、優勝決定戦では武蔵丸を上手投げで下した。当時の小泉純一郎・首相が「痛みに耐えてよく頑張った、感動した!」の名台詞を残したことでも知られている。

 歴史に残る優勝の代償は大きかった。翌場所から、貴乃花は7場所連続全休に追い込まれる。

「当時の貴乃花は角界の宝。休場が続いても、当初は“じっくり治せ”という声ばかりだった。しかし、全休が丸1年を超えたあたりから、横綱審議委員から苦言が呈されるようになった。当時の北の湖理事長も擁護しきれず、2002年9月場所に出場することになった」(ベテラン記者)

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