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西武 土肥義弘投手コーチが語る“戦友”森慎二投手コーチ

7/23(日) 11:40配信

週刊ベースボールONLINE

 6月28日、西武の森慎二投手コーチが多臓器不全のため福岡市内の病院で死去した。直前まで優勝を目指して戦っていた仲間だっただけに、チームは涙に暮れた。ともに投手陣を預かっていた土肥義弘投手コーチの悲しみも大きいが、それでも前を向かなければいけない。森コーチの墓前にいい報告をするためにも、力を尽くして戦っている今、あらためて土肥コーチに森コーチへの思いを語ってもらった。

典型的なフォークボーラー

 約20年の付き合いだった。1998年、プリンスホテルからドラフト4位で西武に入団した土肥義弘投手コーチ。1年早く、チームの一員となっていたのが2学年上の森慎二投手コーチだった。年齢も近く、リリーフとしてチームに支えた2人。自然と距離は縮まっていった。

「シンジさんとはお互いに高め合っていきましたね。投球スタイルはまったく違いましたけど(笑)。僕は左のサイドハンドでスライダーやシュートなど横の揺さぶりで勝負する。シンジさんは右の投げ下ろすタイプで、150キロを超える剛速球とフォークを駆使して相手を抑え込んでいく。真逆ですよね(笑)。だから、『シンジさんのようになりたい』という思いはあまりなかったです。

 ただ、マウンドで気持ちを前面に押し出してという点は一緒。それに、しょっちゅう食事に行っていましたけど、2人のも野球の話が大好き。『今日、あのバッターの反応がこうだった』というような話題を延々と繰り返して。『俺たち野球バカだよな』と笑い合っていましたね。だから、自然と通じ合うものはできてきました。

 シンジさんは、まさに典型的なフォークボーラー。2ストライクに追い込むと、ひたすらフォークを投げる。それも決して高くいかずに、ワンバウンドさせる感じで。三塁にランナーがいたとしても関係ありません。ワイルドピッチなんか気にしない。打者のバットが空を切るまで、フォークで勝負し続けていましたね。

 たとえ結果的に四球となってしまっても気にしない。次の打者を三振に仕留めればいい、と。そこにひるむ気持ちはまったくない。自らのウィニングショットに対して、絶対的な自信を持っていたように感じます。そういった気持ちの強さは、特に後ろを任されているピッチャーには絶対に必要なモノだと思います。

 とはいえ、当然持って生まれた能力だけでマウンドを守り続けていたわけではありません。当時の西武投手陣は誰しもがそうでしたが、自らのルーティンを持っていた。通常の練習以外でやるべきことはしっかりとやる。よく走っていたシンジさんの姿が思い出されます。リリーフでしたが結構、長い距離を汗だくになって。練習する体力は、すごくありましたね。

 それに、マウンドでも闇雲にボールを投げているわけではなく、いろいろと考えながら投げていましたね。当初は、そんなイメージはなかった。僕は打者のタイミングを外すことを考えて、例えばフォームを工夫しながら投げる。そんな話をしたとき、シンジさんも外角に腕を振らないストレートを投げて、その次に思い切り腕を振ったストレートを投げることもある、と。繊細に野球をやっていた面もありましたね」

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