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西那須野から大田原へ・東野鉄道【前編】

7/23(日) 8:00配信

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栃木県北東部を走る東野鉄道の廃線を訪る

 栃木県の北部、東北本線西那須野駅から東へ分岐し、大田原(おおたわら)を経て黒羽(くろばね)方面を結んでいたのが東野(とうや)鉄道である。野州(やしゅう)の東部を走るからで、野州とは下野国(しもつけのくに)のことだ。

 なぜ下野で「しもつけ」と読むのかといえば、説明は少し長くなる。かつて上野国(こうづけのくに・ほぼ群馬県)と、この下野国(ほぼ栃木県)はまとめて毛野国(けぬのくに)と呼ばれていた。

 それを5世紀までに上下に分けたのであるが、当時は国名や郡名、郷名は必ず2字で表記する決まりがあり、上毛野国・下毛野国とするわけにいかず、「毛を剃って」上野国・下野国としたのである。読み方は「かみつ・けぬのくに」および「しもつ・けぬのくに」のはずだが、後に「こうづけのくに」と「しもつけのくに」に転じた。

 ついでながら毛野国を流れている代表的な大河であることから毛野川(けぬがわ)と呼ばれていた川が、今は鬼怒川(きぬがわ)と呼ばれている(中世~近世には衣川・絹川の表記も)。

 さて、野州の話であった。上野国は上州(じょうしゅう)でいいのだが、下野国を「下州」などとすると、どうも格好が悪いからか、上州で使わなかった野の字を使って野州にしたのではないだろうか。

「人車鉄道」の走った大田原街道踏切

 橋上駅である西那須野駅を降りて東口へ向かった。首都圏の駅と同様にスイカの使える自動改札機がある。かつて東野鉄道が発着していたのはこちら側だが、昭和43年(1968)の廃止からほぼ半世紀経っているので、さすがに目立った痕跡はない。

 少しの間は東北本線の東側を並走し、大田原街道の踏切を過ぎた後で徐々に右カーブしていくのだが、大田原までの線路跡はずいぶん以前から遊歩道になっている。

  西那須野駅を過ぎてすぐ渡っていたのが第二大田原街道踏切で、並走する東北本線の方はもちろん現役の踏切だ。東野鉄道が大正7年(1918)に開通する以前は、この付近を起点に、街道上を大田原まで那須軌道の線路が敷かれていた。

  軌間(2本のレールの内法)は762ミリで、当初はミニサイズの客車を人が押すものだったが、大正7年(1918)から馬車鉄道に変更されている。「大正2年(1913)部分修正」の地形図を見ると、この軌道の南側ほど近い所に「大山邸」と記されているが、これは明治の元勲として知られる大山巌の別邸で、その墓所はすぐ近くだ。近所には乃木希典(まれすけ)も別邸を構えていて、近くには夫妻を祀った乃木神社が大正5年(1916)に創建されている。

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