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朝の4時。それはナースステーションが最もせわしくなる時間 第2回<臨終医のないしょ話>

7/23(日) 6:01配信

幻冬舎plus

志賀 貢(医学博士・作家)

 誰もが避けられない”臨終“の間際、人は実に不可思議な現象に遭遇する――これまで数千人を看取った医師が、そんな臨終にまつわる奇譚と、50年の臨床経験から導き出した幸せに逝く方法を赤裸々に明かしたエッセイ――『臨終医のないしょ話』(志賀貢著)

お迎えのときは誰にもあります。本日は、そんな不思議な時間のお話です。 看護師の山下さんは、入院患者たちの間では、パトロールおばさんと呼ばれています。そのあだ名の由来は、彼女の当直の夜は病棟からナースシューズの足音が絶えることはない、ということからきています。

 とにかく彼女が当直の夜は、病棟の見回りをマメにすることでは、患者だけでなくスタッフの間でも有名になっています。

 ナースステーションに10分と椅子に座っていることはなく、常に病棟の中を歩き回り、入院患者のベッドを懐中電灯を使って、一人一人容態に変化がないかを確認しているのです。とても他のスタッフたちには彼女の真似はできません。

 とくに睡眠中に喉に痰たんがからまって、呼吸困難に陥るようなことがあると、命にかかわりますから、喀かく痰たん戦争は、患者にとっても看護師にとっても命がけの戦いなのです。

 彼女は伊豆大島の出身で、同僚との会食などの後のカラオケでは、よく『波は浮ぶの港』という歌を歌うそうです。島を離れてからずいぶん経たつようですが、今でも故郷の島と三原山には、強い愛着を持っているようです。

 その彼女に、悲劇が襲いかかりました。島に住んでいた妹夫妻が三原山の山崩れの濁流に飲み込まれて命を失ったのです。今でも妹のご主人は海に流されたまま行方不明になっています。

 このことがあってから、山下さんはめっきり気弱になりました。

 あるとき、師長を通してそろそろ引退をしたい、と申し出てきました。うちの診療所だけではなくて、彼女が働きに行っている病院では、どこでも彼女の人気が高く、ある病院の総師長などは自分が引退するまでは、絶対にあなたのことは辞めさせません、と言って今でも引き留めているくらいです。

 私もその師長と同じ気持ちです。すぐ山下さんを呼び、私は彼女の顔を見据えて宣告をしました。

 「私も年です。失礼だけど、あなたも若くはありません。どうか私が死ぬまで共にこの診療所で働いてください。どんなことがあっても、今後二度と身を引くなんて言葉を口にしないでください」

 彼女は涙ぐんで何度も何度も頭を下げ、それ以来今でも病棟で夜の見回りのパトロールを続けています。

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最終更新:7/23(日) 6:01
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