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立憲主義の破壊と権力の暴走――「『天皇機関説』事件」の著者が語る安倍政権との類似点とは?

7/23(日) 6:00配信

週プレNEWS

「戦前」の日本が不幸な戦いへと飲み込まれていった1930年代。歴史の大きな「分岐点」となったのが「天皇機関説事件」と呼ばれる政治的な弾圧事件だ。

「大日本帝国憲法」の下で神格化された天皇と、その権威を借りた軍部の権力が暴走し、日本を破滅へと導いたこの「事件」を通じて、「立憲主義の破壊」が社会そのものを壊していく過程を鮮やかに描き出す1冊が『「天皇機関説」事件』(集英社新書)だ。

今回、著者である戦史・紛争史研究家の山崎雅弘(やまざき・まさひろ)氏に、安倍政権下の現状との類似点も含め、話を聞いた。

* * *

─「天皇機関説事件」という言葉を初めて目にする人も多いのではないかと思います…。そもそも「天皇機関説」とは?

山崎 ひと言でいうと、戦前の日本で「天皇」が当時の「憲法」に対して、どういう位置づけだったのかということです。ご存知のように、戦前の日本には「大日本帝国憲法」という憲法があったわけですが、同時に天皇というのは「神の子孫」であって、みんなの手が届かないぐらい偉い人であり、崇高な存在でもあった。

では、天皇は偉いが故(ゆえ)になんでもやっていいのか? それとも、天皇であっても守らなければいけないルールがあるのか? 明治維新後、西洋的な近代国家を目指した日本が採り入れた「憲法」やそれに基づいて国の統治を行なう「立憲主義」の枠組みの中に「天皇」の存在をどう位置づけるのか…?

そうした議論に最終的な決着をつけたのが当時、トップレベルの憲法学者とみなされていた美濃部達吉が体系化した「天皇機関説」で、これは日本という国を「法人」としてみると、確かに天皇はその最高機関であるけれど、それは「憲法」で定められた国家の枠組みの一部としての「最高機関」であって、その権力もまた一定の制限を受ける…という考え方です。

─つまり、天皇は偉いけれど、その天皇も憲法の枠を超えてなんでもやっていいというワケではないと?

山崎 そうです。この美濃部の「天皇機関説」がその後、一種の「定説」として政界や学界で一般化していくのですが、一部の軍人や右翼団体、宗教家などにはそれを受け入れず「天皇の権力は絶対的なもので、何人たりともそれを制限することはできない」という考え方の人たちが「傍流」として残っていた。

そのひとり、菊池武夫が1935年(昭和10年)帝国議会で「美濃部の天皇機関説は天皇に対して失礼であり、『国体』(日本は神聖不可侵なる天皇を戴く国家だという認識)に反する」と激しく批判する演説を行なったことが発端となって、予備役軍人の「在郷軍人会」や右翼団体、一部の宗教家などによって「反美濃部」「反天皇機関説」的な声が全国レベルで広がり、美濃部の著書の発禁処分などを含む大規模な政治的弾圧へと発展していく。

これが「天皇機関説事件」と呼ばれるもので、その後、日本の社会は「立憲主義」の枠組みを失い「天皇の権威」を利用する人たちの権力が暴走することで、あの不幸な戦争へと飲み込まれていくのです…。

─「立憲主義の破壊」というフレーズは2年前の「安保法制」の時にもよく耳にしました。

山崎 なぜ、ヨーロッパで立憲主義が生まれたかといえば、昔は王様がやりたい放題だったものを「それじゃだめだ」ということで、まず権力を縛るために「憲法」が生まれ、その「憲法」に基づいて国を統治するという「立憲主義」が生まれた。このふたつは、言わばコンピュータの「アプリケーション」と「OS」みたいなモノで、どんなに素晴らしい憲法があっても「立憲主義」の前提が守られなければ意味がない。ふたつセットで不可分なものなのです。

美濃部の「天皇機関説」は戦前の大日本帝国憲法下で、そうした「立憲主義」を成立させるための理論的な柱であって、権力の暴走を防ぐための「リミッター」として機能していました。ところが、その「リミッター」が破壊され、日本の社会システムは急激に壊れていく…「天皇機関説事件」は昭和史の大きな「転換点」であり、それは「立憲主義の危機」が危惧されている今の日本の社会状況とも様々な点で重なります。

─大日本帝国憲法下で「近代的な立憲主義国家」を目指していた戦前の日本が、一気に「ひっくり返った」わけですが、当時、そうした流れに抵抗する運動は起きなかったのですか?

山崎 残念なことに、本来なら「立憲主義」を守る側にいるはずの政治家や学者、メディアの「ごく一部」しか、美濃部や「天皇機関説」を擁護しようとはしませんでした。当時の岡田啓介内閣も当初は「憲法学の学問的な基準で判断されるもので政治家が口を出すべきものではない」と主張していたのですが、立憲政友会などを中心とした「倒閣運動」で次第に追い詰められてしまいます。

また、それまで政治家、官僚、学者の間では「天皇機関説」や「立憲主義」という考え方が「定説」になっていたとはいえ、一般市民の間では憲法とは何かという基本的な理解、知識が広がっていたとは言い難い。

そうした人たちの多くは「日本は神(天照大神)の子孫である天皇が治める、世界でも例のない国の形=「国体」があり、天皇の絶対的な権力は憲法や立憲主義などによって縛られない」という「国体明徴論」に飲み込まれていくことになるのです。

─つまり、日本は「世界でひとつの神の国」だから西洋から輸入されたルールである「立憲主義」なんて馴染まないと。

山崎 そこで興味深いのが、1930年代の日本社会が「自信を失いかけていた」という点です。明治維新以来、必死に近代化を推し進め、ようやく「世界の一等国」の仲間入りを果たしたと思われていた日本でしたが、関東大震災後は長引く不況で、特に地方経済が疲弊していて、いわゆる「格差の拡大」が着実に進行していましたし、西欧列強と共に「ロシア革命」に介入した「シベリア出兵」以来、国内で進む社会主義、共産主義の革命思想の広がりに国や警察は大きな不安を感じていた。

一方、外国との関係に目を向ければ、満州事変と満州国建国で激しく批判された日本は当時の「国際連盟」を脱退することになり、国際社会の中での「孤立感」を深めていきます。こうした一連の「不安」や「自信の喪失」がそれまで日本の近代化の「目標」であった西欧諸国への反発という形で現れた。

つまり、「個人主義や自由主義などは西洋のドグマであって、参考にする必要がないんだ」という「逆ギレ」のような形に変化し、「日本は特別な国だ」とか「日本は素晴らしい国だ」という意識を膨らませることで、その後、「国体」という思想が一種のマジックワードのように存在感を増していくことになるのです。

─うーん、何やら「美しい国、日本」みたいな…。震災や原発事故、経済の停滞と格差の拡大など、日本という国が自信を失い、様々な不安に直面しているという点でも「現代」に重なりますね。

山崎 4年前、安倍首相が憲法について「国家権力を縛るという考え方は王権が絶対権力を持っていた時代の考え方で、今の憲法とは日本という国の形や理想と未来を語るもの」だと語ったり、「立憲主義がすべて権力を縛るものだという考え方は古い」という趣旨の発言をしたりして物議を醸(かも)していましたよね。

近代的な民主主義国家の「常識」としての「憲法」や「立憲主義」に対して、「日本には別の常識がある」という姿勢は当時の「国体明徴運動」と重なります。また、それは2012年に発表された「自民党改憲草案」にも随所に表れています。

─そう考えると、日本社会は今、新たな「歴史の転換点」に立っているのでしょうか?

山崎 そう思います。だからこそ、一般の人たちが国家権力を縛る「憲法」の意味と、その「憲法の枠組み」の中で国を治める「立憲主義」の原則が持つ大切さについて、しっかりと理解する必要があると思います。

ところが、あの不幸な戦争を経て新たな「日本国憲法」の下で戦後を歩んできたにも関わらず、そうした「憲法」の意味や「立憲主義」への意識というものが、未だに日本人の中で血肉化されていない。

だからこそ我々は今一度、「歴史」を振り返り、立憲主義の破壊とそれによる権力の暴走が社会に何をもたらすのか、そのことを過去の不幸な歴史から改めて学ぶ必要があると思います。昭和史の大きな「転換点」となった「天皇機関説事件」には、この国が「再び同じ過ちを繰り返さない」ための多くのヒントがあるはずです。

●山崎雅弘(やまざき・まさひろ)
1967年、大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。昨年刊行した『日本会議―戦前回帰への情念』(集英社新書)で、大手メディアが報じてこなかった同組織と政権の関わりや改憲に向けた活動の詳細を明らかにし、注目を浴びる。『戦前回帰「大日本病」の再発』(学研プラス)、『5つの戦争から読みとく日本近現代史――日本人として知っておきたい100年の歩み』(ダイヤモンド社)など著書多数。

■『「天皇機関説」事件』(集英社新書 760円+税)

最終更新:7/23(日) 6:00
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