ここから本文です

震災チャリティーマッチに謎の助っ人選手登場?【1995年7月24日】

7/24(月) 11:20配信

週刊ベースボールONLINE

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は7月24日だ。

 1995年1月17日、兵庫県神戸市を中心に未曾有の被害をもたらした阪神・淡路大震災。NPBと選手会では、被災者の方々の少しでも力になれるようにとチャリティーゲームを企画し、同年のオールスター第1戦の前、7月24日に行った。本来は移動日での開催のため、選手によっては公式戦から球宴と切れ目のない連戦となる選手もいたが、もちろん、不平不満など誰からも出ない。

 福岡ドーム(現ヤフオクドーム)での試合は、日本人選抜の「ジャパン・ドリームズ」(ダイエー・王貞治監督)対外国人選抜の「フォーリン・ドリームズ」(ロッテ・バレンタイン監督)。入場料収入、テレビ放映権料から諸経費を抜いた約1億円と勝利チーム賞の300万円などが義援金となり、福岡ドームには被災地の少年少女が多数招待され、熱戦を楽しんだ。

 選手が整列し、震災で亡くなった方々への黙とうからスタートした試合で、一番張り切っていたのが、自ら被災地・神戸を励ます“ホスト役”だと言っていたオリックスのイチローだ。「一番・右翼」で先発出場し、8回には中日・モンテのストレートを右翼スタンドに運ぶと、ベースを回りながら珍しく右の拳を突き出した。

 走っては広島・野村謙二郎と重盗を決め、守備でもレーザービームを披露。さらに練習やイニング合間のキャッチボールでは背面キャッチを見せたり、ボールをスタンドに投げ入れたりとファンサービスを心掛けた。

 フォーリン・ドリームズが困ったのが、経験者がいなかったキャッチャー。急きょ巨人の大久保博元、ロッテの定詰(じょうづめ)雅彦がマスクをかぶり、スコアボードには大久保が愛称の「デーブ」、定詰が「ジョー」と表示され、定詰はこの試合に向け、自費で背中に「JOE」と入ったユニフォームを新調した。

 試合は5対3でフォーリン・ドリームズの勝利。2安打2打点をマークしたロッテのフランコは「日本には本当に素晴らしい選手がたくさんいる。イチローもそうだけど、僕は広島の野村も絶対にメジャーで活躍できると思う」とコメントしていた。95年はドジャース1年目の野茂英雄が全米で旋風を起こした年でもあるが、まだ、日本人野手がメジャーで活躍できるなど、誰も本気で思っていなかった時代だ。

写真=BBM

週刊ベースボール

記事提供社からのご案内(外部サイト)

カープ&ホークス ペナント制覇!
広島・ソフトバンクの歓喜の優勝シーン
祝勝会&優勝会見再録