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「あきらめる」とはものごとを「明らかに見る」こと<人生を半分あきらめて生きる>

7/24(月) 6:01配信

幻冬舎plus

諸富 祥彦

 「ふつうの幸せ」が難しい時代です。憧れの仕事、理想の結婚、豊かな老後……を手に入れることができるのはごく少数。しかし、そこで「人並みになれない自分」に焦り苦しむことなく、満たされて生きるにはどうすればいいのか――? 
『人生を半分あきらめて生きる』には、人生を上手にあきらめる知恵、そこから生きるエネルギーを取り戻す工夫が詰まっています。
臨床経験豊富な心理カウンセラーの言葉をお読みになって、少しでも気持ちを楽にしてください。

「あきらめる」のをあきらめる

 人生をじょうずに少しずつあきらめていくことが大切だ、などと言われると、「あきらめなくてはいけないのか。私はまだ、あきらめたくない。いやだ」と思う方もいるでしょう。

 そんな方は、無理してあきらめる必要はありません。本書で勧めているのは、修業ではありません。あきらめるのがつらい人は、「あきらめること」をやめましょう。「あきらめる」のを「あきらめる」のす。

 要するに、大切なのは、自分の中に生まれるどんな気持ちも、ただそのままに「あぁ、こんな気持ちが、自分の中にあるのだなぁ」と認めていく。自分の中にある気持ちを、それがどんな気持ちであれ、ただそのまま、「こんな気持ちがここにあるなぁ」と認めて、眺めていくような姿勢を保っていく。そんな「自分自身とのつきあい方」を学んでいくことです(「脱同一化」です)。

「あきらめる」への反応で分かれる3つのパターン

 では、あなた自身はどうでしょうか。

 「人生を半分あきらめて生きる」という本書のタイトルを見て、心の中にどんな反応が生まれてきたでしょうか。

 次の3つのパターンが私には想い浮かびます。

 ひとつは、先ほどあげた「え……人生を半分あきらめて生きるなんて、それはいやだ」と思われる方です。

 こう思われる方は、おそらく、これまで人生がそこそこうまく運んできた方でしょう。仕事とか、恋愛とか、家族とか、自分の未来にまだまだ多くの希望を抱いておられる。そんな方が、「人生を半分、あきらめて生きるのが大切だ」などと言われたら、「それはいやだ。そんなことしたくない」と思うのが自然です。まだ多くの希望を抱いているがゆえに、「あきらめるわけには、いかない」のです。

 そして、そんな方は、「あきらめなくて、いい」のです。「あきらめる」のを「あきらめ」ましょう。

 2つ目は、おそらく新書の読者に少なくない、教養を身につけて、自分の人生の役に立てようという向上心豊かな努力家の方です。そんな方は、「私はまだあきらめたくない。理想を高く持って生きていきたい。たしかに、人生の半分は、あきらめだけど……」と心の中でつぶやきを発されたかもしれません。

 これまでそれなりに人生の辛酸をなめてきた経験もおありでしょう。

 希望の学校に受からなかったとか、希望の職種に就けなかったとか、希望の仕事には就いたけど職場の人間関係がたいへんで泣く泣く退社したとか……。結婚しようと思っていた交際相手に突然ふられたとか、幼少の頃から、家族の人間関係がぎくしゃくしていたという方もおられるでしょう。

 「生きるって、子どもの頃に思っていたよりも、ずっとたいへんなものなんだなぁ」

 「生きるって、いろんなことを断念して、あきらめて、現実を受け入れていくプロセスだったんだなぁ」

 そんなふうに感じている方もいるでしょう。

 けれども、理想が高いので、「まだまだあきらめるわけにいかない。こんなんじゃだめだ。今の私のままじゃだめだ。もっと努力しないと」といつも思っているのです。

 実は、このタイプの方が、生きるのが、もっともつらく苦しくなってしまいがちです。理想が高いので、絶えず、自分に「もっともっと」と高い要求水準を抱きます。そして、理想の自分と、現実のそうなれない自分を絶えず比べて、「まだ、だめだ」「こんなんじゃだめだ」と自分にダメ出しをして、自己否定の気持ちに苛(さいな)まれてしまいやすいのです。

 では、こんな方は、どうすればいいのか。これは、カウンセリングで相談にくる少なからずの方が、このことで苦しんでいる大きな問題ですので、別に新たなチャプター(第五章)を設けて論じることにしましょう。

 そして、3つ目のタイプの方――そして、おそらく、この数年で増えているタイプの方は、「人生を半分、あきらめて生きる」という言葉を聞くと、どこかホッとするのを即座に認めることができる方、つまり、この本で提唱している生き方を、すでに実践され始めている方です。

 この方も、もちろん人生を完全にあきらめているわけではありません。

 向上心だって、ないわけでもない。

 「まだまだあきらめるわけにはいかない」という思いもある。

 けれど、率直に言って、生きるのに、もうだいぶ、疲れてしまった。

 いろんなことがなかなか思うようにいかない。

 何度転職しても仕事がうまくいかず、いつまでも就活の延長のような人生を送っている人もいるでしょう。

 いくら婚活でがんばっても、なかなかうまくいかず、「もう、結婚しなくても、いいかな」と、思い始めている方もいるでしょう。

 けれども周囲からは「あきらめるな」「もっとがんばれ」と言われ続けて、辟易している。

 「あきらめるな」

 「がんばれ」

 「元気になろう」

 こういう言葉は、もう、うんざりだ。

 聞きたくない。言われたくない。

 逆に、「人生を半分、あきらめて生きていいのだ」と言われると、どこか、ホッとする。

 こういう方が、今、増えているのではないかと思います。

 それでいいのだ、と私は思います。
(『第三章「あきらめる」とはものごとを「明らかに見る」こと』より)

 *続きは、書籍『人生を半分あきらめて生きる』をご覧ください。


■諸富 祥彦
1963年福岡県生まれ。1986年筑波大学人間学類、1992年同大学院博士課程修了。英国イーストアングリア大学、米国トランスパーソナル心理学研究所客員研究員、千葉大学教育学部講師、助教授(11年)を経て、現在、明治大学文学部教授。教育学博士。
時代の精神(ニヒリズム)と「格闘する思想家・心理療法家」(心理カウンセラー)。
日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事、日本産業カウンセリング学会理事、日本生徒指導学会理事。
教師を支える会代表、現場教師の作戦参謀。
臨床心理士、上級教育カウンセラー、学会認定カウンセラーなどの資格を持つ。

最終更新:7/24(月) 6:01
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