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難病と戦う日々の中で、娘の「がまん」に気付いた瞬間~子育て体験談

7/25(火) 13:08配信

PHPファミリー

PHPのびのび子育て 「あたたかな日々」より

私は第1子である娘を出産した半年後に、難病指定の病を発症しました。自分が3人姉弟だったので子どもは3人ほしいと思っていたのですが、医師から「もう子どもを産めない」と宣告され、突然、崖から突き落とされた気持ちになったのです。

病気の治療のため、娘が1歳半のとき、長期入院を余儀なくされました。全身の関節が痛くなり、寝返りすら打てない日もあって、歯がゆさと悔しさ、痛みで、あふれる涙を抑えることに精いっぱいでした。私の母が娘を連れてきてくれる、たった3時間が、私の幸せな時間でした。娘には心配をかけたくなかったので、全身の痛みに耐え、必死に笑顔をつくりました。何も知らない娘は、ただ、私を見てほほえんでくれました。その笑顔で、つらい治療にも耐えることができたのです。

それから1年。母が専門医を探してくれ、そこで治療を受けたところ、難病にかかっているとは思えないような生活ができるまでに回復したのです。担当医は、「大丈夫です。お子さんは、きっとまた産めますよ」と言ってくれました。

しかし治療に専念するため半年ほど、また入院することになりました。娘が3歳になる前のことです。保育園に通い出していた娘は、日に日におしゃべりになり、しっかりしてきていました。言うことも、大人顔負けです。

夫と娘と私の両親がお見舞いにきてくれた日のことでした。娘が私の上に飛び乗り、点滴にひっかかったため、私も、夫も、父も「だめ!」と口ぐちに言ってしまったのです。娘は、目に涙をためているにもかかわらず、泣きませんでした。「ごめんね」とみんなで言っても、握りこぶしをつくり、立ったまま何の反応もしません。小さな握りこぶしはプルプルと震えていました。

点滴の処置をしてもらい、私が「ごめんね、おいで」と言ってもピクリとも動きません。お花の水を替えにいっていた母が帰ってきたとき、ようやく娘は母に抱きつき、大泣きしたのです。

私は初めて気がつきました。これまで私は、痛みや娘の世話ができない悔しさに1人で戦ってきたつもりでした。でも、娘は私の想像以上にがまんし、苦しんでいたのです。

それから間もなく退院し、公園へ行けるまでに回復しました。でもほかの親子のように、娘と一緒に遊ぶことができません。娘にきょうだいをつくろう。私はそう決心し、不妊治療を受けることを決めました。藁にもすがる思いで、あちこちの神社に参拝し、子どもができることを祈りました。

そんなある朝、「ママ、お腹、変だよ」と娘に言われ、検査を受けると妊娠していたのです。授かった命に2人で喜び合い、娘に「女の子かな」と尋ねると、「違う、男の子だよ」と言い張ります。不思議なことに、性別まで合っていたのです。

日に日に大きくなるお腹に向かって、「オムツ替えてあげる」「ミルクもまかせて」「早く会いたいな」と話しかける娘。幼稚園に通い出した娘は、自分のことは何でもやって、私のお腹が大きいからと荷物も持ってくれます。こんなにも思いやりのある、やさしい子に育っていました。

つらいときも、不安なときも、私のそばでいつも笑ってくれる娘がいてくれたからこそ、今の私があるのです。娘の名は、大好きな向日葵の字をとり、笑顔を絶やさない、いつも元気な女の子、という願いをこめてつけました。その願いどおり、いつも私に元気をくれます。もうすぐ赤ちゃんが生まれますが、不安は微塵も感じません。私には“小さなママ”がそばにいるから。

滋賀県彦根市・30歳・主婦

(出典:「PHPのびのび子育て」8月号)

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