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食文化の襷は江戸前天婦羅―元武士考案・雷神揚げは一子相伝の技

7/25(火) 11:30配信

Wedge

 運ばれてきたかき揚げを見て、あまりの大きさに目を疑ってしまった。手を広げて比べてみると、ほとんど同じくらい。そのうえ厚さは5、6センチほどもある。

 その名も「雷神揚げ」は、創業当初からの「中清(なかせい)」名物。いや、浅草名物といっていいだろう。この巨大かき揚げを目当てに、同地を訪れる人が多いのだから。

 ロサンゼルスのチャイニーズシアターのように、数多(あまた)の芸能人の手形が並ぶ浅草公会堂。その真向かいに見える木造建築が、「中清」だ。玄関に辿り着くまでには、石畳の通路を少々歩かねばならない。奥まった地に建っていることが、老舗の風格をより高めている。

 「ここに店を構えたのは、明治3年(1870)です。それを創業の年にさせていただいています」

 6代目店主の中川敬規(よしのり)さんが説明する。

 もともとは屋台だったという。

 「初代の中川鐵蔵(てつぞう)は駿河の武士だったそうですが、身分を捨てて江戸に参りまして、商いを始めたんです。幕末のことです。その頃は飲食店の多くは屋台で、初代も広小路通りで屋台の天麩羅屋を開きました。広小路通りといっても、上野周辺ではなく、雷門の前あたりのことです」

 なぜ江戸に出たのか、なぜ天麩羅屋を選んだのか、どういった料理だったのか。残念ながら詳細は分からない。当時の天麩羅は魚介類を串に刺して揚げ、屋台の立ち食いで楽しむファストフードだったといわれる。初代の屋台もそうだったのだろう。

 いずれにしても商売は成功し、前述のように明治になって店舗を構えることができた。それを機に、苗字の「中」と息子(清五郎(せいごろう)氏・後の2代目)の名の「清」を取って、店名を「中清」と定めた。

店舗を構えるにあたって名物を

 「ひとところに店舗を構えて落ち着きたい、高級志向の店にしたいという思いが強かったのでしょう。池のある中庭を作り、それを囲むような数寄屋造りにしました。お座敷の個室で、ゆっくりとくつろいでいただきたいと。うちは関東大震災で潰れ、戦争で焼け、そのつど建て替えているんですが、当初の造りを踏まえています」 

 立派な店を構えた以上、何か名物を作らねばならない。そう考えた鐵蔵氏が始めたのが、巨大なかき揚げだった。芝海老と青柳の貝柱。食材としては定番のものだが、その大きさが評判を呼んだ。

 やがて、常連だった仏文学者の辰野隆(たつのゆたか)氏が、「雷神揚げ」と名付けた。雷門に立つ雷神の太鼓に似ているからだという。

 この名物は、店主だけが揚げることを許される。今回、厨房にお邪魔してキスや穴子などを揚げる様子を見学・撮影させていただいたが、「雷神揚げ」については許可をいただけなかった。

 一子相伝の逸品を食べてみると、サクッ(ひょっとしてパリッの方が近いか?)とした衣に、しっとりジューシーな具材。これだけ分厚いのにもかかわらず、どの部分にも均一に火が通っていることに感動する。「熟練の技が必要なんでしょう?」と尋ねると、「初代の頃は炭だったでしょうから、油の温度が安定してなくて大変だったでしょうね」とだけ答え、笑みを見せた。

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最終更新:7/25(火) 11:30
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