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移民の急激な受入れ、反民主主義体制のままではEUは瓦解の危機に直面する

7/26(水) 11:01配信

Meiji.net

移民の急激な受入れ、反民主主義体制のままではEUは瓦解の危機に直面する
安部 悦生(明治大学 経営学部 教授)

※取材日2016年12月

 今年(2016年)10月、イギリスのメイ首相は来年3月までにEU離脱の通知を行うと言明しました。いよいよイギリスのEU離脱交渉が始まります。最近は、堅調な経済を維持するイギリスに対して、EUがどう対応するのかが注目されています。
 今後、EUはどう変わっていくのか。イギリスが離脱を選択した理由をあらためて見直すことが、それを考えるヒントになります。

◇移民による文化的摩擦は深刻な問題

 イギリスがEUからの離脱を選択した理由は大きく分けて2つあると考えられます。ひとつは、よくいわれているように移民の問題です。

 しかし、一口に移民問題といっても、その実態はなかなか複雑です。歴史的にみれば、イギリスはむしろ移民を積極的に受入れてきた国です。1950~60年代には繊維工場の労働力を確保するために、パキスタンなどから移民を積極的に勧誘しました。

 現在、パキスタン、インド、バングラデシュ系の住民はイギリス国内に約300万人いるといわれています。彼らはもともと労働力を確保するためにイギリスに積極的に勧誘されたのですから、問題は起きなかったのかといえば、実はそうでもありません。

 イングランド中北部に、パキスタン系の移民がたくさん定着したデューズベリーという小さな町があります。1987年に、この町の白人の親たちが小学生の子どもを登校拒否させるという事件が起りました。

 その理由は、小学校の生徒の半数以上がパキスタン人の子どもになり、給食がパキスタン風になっていくなどしたため、白人の親たちが「英国風の教育が受けられない」と怒ったのです。この事件は、イギリスに渡った移民たちは集まって居住区を作り、自分たちの文化や習慣を継承して生活するので、地元社会にすぐには溶け込めないことを現わしています。
 こうした文化的摩擦は地域住民にとっては深刻な問題です。

 1850年代に大飢饉があったアイルランドから大量の移民がイギリスに入りましたが、彼らは100年かかって、ようやくイギリス社会に溶け込んできたと感じられます。ユダヤ人も同様です。白人同士でも社会に溶け込むのに100年かかることを考えれば、宗教や文化、生活習慣も異なる異民族が白人社会に溶け込むのは、容易なことではないでしょう。


◇イギリスは移民受入れ策に失敗していた

 底流にこうした移民問題があったイギリスに、旧共産圏を含む10ヵ国がEUに加盟した2004年以降、東欧移民が急激に増えました。いまイギリスには、毎年30万人の移民が入って来ています。

 彼らは白人でキリスト教徒なので文化的摩擦は少ないでしょうが、今度はイギリス人の職が奪われるという問題が起きています。しかし、東欧からの移民が就く仕事は、もともとイギリス人が就きたがっていなかった仕事が中心なので、職の奪い合いは起きないという説があります。確かに、イギリスの失業率は5%と低く、経済的には完全雇用の状態だといわれています。

 ところが、実際には、いままで就いていた職を奪われた人もいるし、奪われなくても、低賃金などでも働く移民たちの影響で、労働条件が悪化している人もいます。私は2年に1度は渡英し、ケンブリッジ大学のカレッジに住むことが多いのですが、そこの部屋を掃除しに来ていたイギリス人の女性が、2005年からポーランド人に変わりました。
 ホテルのメイドさんがハンガリー人になっていたこともあります。私の実感でも、東欧系の移民たちがイギリス人に代わって職に就きはじめていることがわかります。

 ところが、2004年当時、移民の受け入れには7年間の猶予期間があったのです。にもかかわらず、時のブレア首相は労働力の増加を重視して、最初から受け入れを了解してしまいました。このとき、移民の受け入れを段階的に行っていれば、今日のようなブレグジット(BREXIT:イギリスのEU離脱問題)は起きなかったかもしれません。

 移民たちとの文化的摩擦や職を奪われることに起因する、一般の生活者の嫌悪や不満の感覚を理解しなかったことが、ブレグジットを招いた最大の要因であったことは間違いありません。

◇イギリスが強く感じる主権侵害や反民主主義

 イギリスがEU離脱を選択したもうひとつの大きな理由は、主権の問題です。もともとEUは、20世紀に2つの世界大戦の戦場となったヨーロッパが、二度と争いを起こさないという理念の下、共同体の構築を目指したものです。

 ですからスタートは、争いの元凶となりやすかった資源を共同管理する目的で、1952年に石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立されたのです。このECSC設立時にイギリスは参加しませんでした。その理由は、まさにその“共同管理”を主権の侵害と捉えたからです。もともと炭鉱労働者の意見が強かったイギリスにとって、炭鉱の閉山を自分たちで決められないような共同管理に縛られることは、受入れられるものではありませんでした。

 しかしその後、経済が落ち込んだイギリスは経済的な関係を深めるために、1973年に当時の欧州共同体(EC)に加盟します。しかし、主権に関する意識が非常に強いのは変わっていません。単一通貨のユーロや、出入国審査なしで国境を越えられるシェンゲン協定にイギリスが加わっていないのは、通貨の管理も国境管理も国の大切な主権と捉えているからです。

 そんなイギリスにとって、政治の主導権をドイツとフランスが握り、官僚機能をベルギーとルクセンブルグが握るいまのEUでは、政治的にも行政的にもイギリスの意見は通らず、どちらからも排除されているという感覚を強くもたざるを得なくなりました。

 例えば、EUの組織は構造が非常に複雑な上、主要機関である理事会、議会、委員会の長はすべてPresidentと呼ばれます。
 しかも民主主義の手続きに則って選挙で選ばれるのではなく、いわゆる談合政治によって決ります。委員会のPresidentにユンカー氏が選ばれたとき、イギリスはユンカー氏に反対し、その決め方も反民主主義だと猛反対しました。しかし、その意見は通りませんでした。しかもEUは実質的に談合で組織の長を決める一方、様々な規則を作り(例えばEU内で流通するバナナのサイズ・品質も規定)、イギリスを含めEUの全加盟国に課してきます。

 つまり、イギリスにとってEUは、やはりイギリスの主権を侵害する組織であり、しかも非常に反民主主義的なのです。こうしたEUの体制も、ブレグジットの大きな一因です。イギリスの政治家は、口ではEU残留を訴えていても、本質的にはユーロスケプティシズム(EU懐疑派)が多いといわれているのです。

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最終更新:7/26(水) 11:01
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