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最近、教育機関に不祥事が目立つのはどうして?──内田樹のよろず問題快刀乱麻!

7/26(水) 18:10配信

GQ JAPAN

「天下無敵」をめざす合気道7段の武道家にして、フランス現代思想を専門とする思想家、そして相談回答の達人、ウチダ先生が今月も街場のよろず問題を快刀乱麻!

人工知能がこれ以上進化したら、人間は不要になる?

Q ココがわかりません

文部科学省前局長の早稲田大学への再就職について、文科省が組織的に「天下り」をあっせんしていたことが問題になりました。森友学園問題は小学校の設立をめぐっての国有地不正取引事件ですけど、最近、教育機関を舞台にした不祥事が目立つのはどうしてなのでしょうか。

A お答えします

■社会的共通資本には「後がない」

あらゆる制度が経年劣化を起こしています。学校だけがとくに不祥事が多いとは思いません。でも、学校とか医療機関とか警察とかは不祥事が目立つんです。目立つように制度ができている。だって、「子どもを成長させる」「病人や怪我人を癒す」「正義を実行する」というのは人間社会の基盤中の基盤じゃないですか。こういう「それなしでは人間社会が立ち行かない制度」のことを「社会的共通資本」と呼びます。これが崩れたら「後がない」。だから、それだけ厳しく、専門的に管理運営されなければいけない。政治とかビジネスとかメディアとかとは違うんです。政治やマーケットでは、多少の不祥事があっても、それでいきなり人間社会の根幹が崩れるということはありません。でも、学校や医療や司法が崩れて、制度が信じられないということになると、人間は不安で1日も生きてゆけない。

学園ドラマ、病院ドラマ、刑事ドラマが多いのは、いずれも身近で、日常的に接する職場でありながら、「一度社会的信用を失ったら、おしまい」という緊張感に貫かれた場だからです。腐敗した政党とかブラック企業の内幕とかはさっぱりドラマにならないでしょう。そんなところで誰がどんなミスを犯しても、悪事をなしても、それでいきなり社会の根幹が崩れるということはない。だから、劇的な緊張感が起こらない。

そう考えれば、森友学園問題で国民がナーバスになったのは当然だと思います。学校教育に巨額の金が絡んだり、特定の政治イデオロギーが絡んだり、権力者におもねる官僚の出世欲が絡んだり、ということに人々が強い違和感を覚えたからです。学校は「そういうこと」にかかわってはいけないという常識が働いた。民間企業が粉飾決算をしたり、政治家や官僚にわいろを送ったりということにはそれほど動じない人たちも、学校や病院や警察が「そういうこと」をすると強い不安を感じる。その差は、不祥事を起こした組織が、「人間が集団的に生きてゆく上で安定的に管理されていることが絶対に必要なもの」であるかどうか、その必要度の違いを映し出しているんです。

学校、病院、警察の不祥事はその多くが「内部告発」によるものであるのは、そのせいです。制度を悪用したり、果たすべき使命を果たしていない同僚がいることを「許せない」と感じて、それによって責任者が記者会見で土下座するようなことになろうとも、それでもこの組織の「健全さ」を守る必要があると思う人がそれだけ多くこれらの組織には含まれているということです。そういうことは政党とか営利企業とかではありません。内部告発者が比率的に多く発生する組織というのは、「この組織は、大局的な国民の利益を配慮して、私利や私見に惑わされることのない専門家によって、クールかつテクニカルに管理されなければならない」と信じているメンバーをそれだけ多く含んでいるものだということです。僕はそう思います。

■天下りのマッチポンプ

文科省の天下りが問題になりましたけれど、文科省って実はあまり利権のない官庁なんです。せいぜい退職後に大学の教授や事務長や理事になれるくらいで。でも、天下りは大学にとってはけっこうありがたい存在なんです。というのは、文科省が出す通達とか、助成金の申請要綱って、意味がよくわからないんです。何をして欲しいのか、どうすれば助成金がもらえるのか、よくわからない。だから、その「暗号」を解読してくれる専門家がいると大学はすごく助かるんです。「この文書は行間を読むと、『こういうことをしろ』という意味です」と解読してくれる元文科官僚の「天下り」がいたら、会議や書類作りのための労力と時間が大幅に節約できる。それで浮いた教育研究資源はたぶん「天下り」さんに払う給料の何十倍にもなる。だから、大きい大学は「天下り歓迎」だったんじゃないんですか。

逆から言うと、文科省は「暗号解読の専門家がいないと解読できない通達」や「事情通がいないと申請の仕方がわからない助成金」を出し続けることで、文科省の出す「クイズ」をさらさらと解ける「天下り」の雇用を創出しているとも言えるわけです。こういうのを「マッチポンプ」と言うのですが、日本の官僚の質の劣化がしみじみ知れる話です。

今年の教科書検定では、小1向けの道徳の教科書に「パン屋」が出てくるのを、文科省から「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つことの意義を考えさせる内容になっていない」との意見が付けられ、教科書会社が「パン屋」を「和菓子屋」に変えたら検定を通ったということで問題になりました。

これは二重の意味で検定という仕組みの退廃を露呈した事件だと思います。

一つは、教科書会社が検定官の知性を「見くびっていた」という点です。クレームがついたので、「パン屋」を「和菓子屋」に変えてみせたというのは、言い換えれば「検定官というのはその程度の書き換えで合格を出す程度の知的レベルだ」ということを教科書会社の側が知っていたということです。教科書を作っている側に知的に見くびられている人々が検定にかかわっているということ、これが退廃の第一です。

でも、第二の退廃の方がもっと深刻です。それは「パン屋」を「和菓子屋」に書き換えるというのは、誰が考えてもまったくナンセンスな修正だということです。パン食だって日本の食文化に深く根付いた誇るべき伝統文化である点で、和菓子と変わらないことくらい、教科書会社だってわかっていたはずです。でも、その「無意味な修正」をしないと検定に通らない。つまり、検定制度は、教科書の記述の適否を判断するためのものではなく、教科書会社に対して「どちらがボスか」を教え込むための「マウンティング」の装置として働いていたということです。

権力者がその権力を誇示する最も効果的な方法は「無意味な作業をさせること」です。合理的な根拠に基づいて、合理的な判断を下し、合理的なタスクを課す機関に対しては誰も畏怖の念も持たないし、おもねることもしません。でも、何の合理的根拠もなしに、理不尽な命令を強制し、服従しないと処罰する機関に対して、人々は恐怖を感じるし、つい顔色を窺ってしまう。

今の日本の権力者たちは他の点では多くの問題を抱えておりますけれど、「マウンティング」の技法には熟達しています。

今回わかったことは、検定制度とは無意味なクレームをつけて、無意味な修正をさせることによって教科書の作成者たちに無力感を与え、権力に反抗することは不可能だということを教え込むための制度だということです。

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最終更新:7/26(水) 18:10
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