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「自分なんかに、無理です」――なぜトップレスラー・関本大介は自伝出版を拒んだのか?【担当編集者の証言】

7/26(水) 19:15配信

ダ・ヴィンチニュース

『ダ・ヴィンチ』8月号「ありがとう、プロレス」特集で、新日本プロレスのオカダ・カズチカにインタビューを行った。プロレスラーに向いているのはどんな人かと尋ねると、オカダはこう答えた。「性格が悪い人。いい人は向いていないと思います。闘いの中で優しさが出ちゃいますから。みんな『俺が一番だ』っていう世界ですからね。じゃないと上にあがれないですよ」。

 筆者がこれまでインタビューをしてきたレスラーのほとんどが、いい意味で「俺が一番」というタイプだった。上にいけばいくほど、その傾向が強い。そうでなければのし上がれないシビアな世界なのだろう。しかし、この人だけは違う、というレスラーがいる。大日本プロレスの関本大介だ。

「自伝を出しませんか?」――編集者としてそう話を持ちかけると、関本は「自分なんかには無理です」と言って断った。謙遜しているのだなと思った。レスラーはみんな「俺が一番」なのだから、よほど条件が悪くない限り、自伝出版を断るはずがない。「関本さん以外に誰が出すんですか」と畳み掛けると、正式に断りの連絡が届いた。本当に出版したくないらしかった。それでも、「関本さんが自伝を出すことが、大日本プロレスの発展に繋がる」と説得し、どうにか承諾してもらえた。そんな紆余曲折あって、7月24日、関本大介の自伝は発売された。タイトルは『劣等感』。まったくもって、レスラーの自伝らしからぬタイトルである。

 1981年、大阪府生まれ。“絶対君主”の父親に野球の道に進むことを強いられ、中学から名門・明徳義塾に進学する。「監獄」と呼ばれる寮生活。明徳ジャージを着用し、学校の敷地外に出ることは原則禁止。女子生徒もいたが、万が一、女子寮に侵入でもしたら即退学。脱走騒動は度々あったというから、中学生にとっていかに過酷な生活だったか、想像に難くない。

 高校も明徳義塾に進学した。野球部は、AからDまでの4チームに分かれている。Aチームは、プロで言えば1軍。大会でベンチ入りする選手たち。Bチームも、県によっては甲子園出場を狙えるほどの実力がある。Cチームも、レギュラーは無理でもベンチ入りは狙えそうな選手たちがしのぎ を削る。しかし最後のDチームは、「怪我に気をつけて楽しく野球をやっていろ」と半ば見放されたメンバーが残った。関本は、1年から3年まで、不動のDチームだった。

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