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20世紀の“忘れ物”が21世紀を生きるヒントになる

7/28(金) 11:00配信

Meiji.net

20世紀の“忘れ物”が21世紀を生きるヒントになる
鞍田 崇(明治大学 理工学部 准教授) 

 2016年の日本の年間出生数は1899年(明治32年)に統計を取り始めて以来、初めて100万人を割り込みました。少子化に歯止めがかからない状況が浮き彫りになりましたが、この状況が続けば、21世紀の100年間で日本の人口は1/3になるとの予測もあります。そのような縮退社会で、私たちの生き方はどうなるのでしょうか。


◇21世紀の人口減少社会には新たな可能性がある

 人口問題の専門家ではない私でも、統計を見てスグにわかることは、日本の人口は20世紀でほぼ3倍に膨れ上がり、それが21世紀に、逆に1/3まで急降下するということです。

 私はそれを「1/3社会」と呼んでいます。人口がここまで急激に減るということは、日本ではかつてない経験です。このような1/3社会では、人口が増え、社会が拡大していた時代の発想や価値観、考え方を引きずったままでは行き詰まってしまうはずです。未経験の社会に新たな生き方や可能性を見出すためには、やはり、新しい発想や価値観が求められるのではないかと考えています。

 人口減少社会を考えるとき、往々にしてネガティブなトーンになりますが、1/3社会は決して悲観的な社会ではないと私は考えています。

 例えば、人口減少の社会を表現するのに、よく「縮退社会」という言い方がされます。もともと「縮退」とは、文字通り、縮こまって、退くということであり、恐縮して尻込みするという意味の言葉です。もちろん、縮退社会という場合に、そうした意味はありません。縮退社会は、英語のShrinking Societyの日本語訳として広まった言葉です。ですが、「縮まる」はおくとして、Shrinkingには「退く」という意味はありません。

 つまり字義どおり訳せば、「縮小社会」でよいはずです。

 なのに、これを「縮退社会」と訳すのは、人口が増加し、拡大する社会を「進歩」と捉え、人口が縮小し、経済規模も縮小する社会を「退歩」と捉える先入観があるからではないでしょうか。

 私は、人口が少なくなることによって、むしろ20世紀には実現できなかった新しい未知の可能性を開くことができると考えています。20世紀的発想を引きずったまま、「あれができなくなる」「これはもっと小さくなる」などと考えるから行き詰まるのです。

 むしろ、縮まることを前向きに捉える視点をもつことが大切です。

 しかし、まったく想像上の新しいものを求めても、地に足の着いた議論はできません。そういうとき、20世紀の繁栄の中で、隅に追いやられたり置いてきぼりにされたものに、1/3社会での新しい展開や可能性のヒントが潜んでいるのではないかと思うのです。

◇自分らしさを発揮することができる「1/3社会」

 では、拡大する社会のなかで置いてきぼりにされたものとはなんでしょう。

 以前、建築家の小嶋一浩さんと話をしたとき、彼は、「20世紀は人口が爆発的に増え、急増したニーズに対応するために、なるべくフラットに平均化して、効率的にサービスを供給しようというシステムが整っていった」と言い、それを「大きな矢印の時代」と呼んでいました。この譬えは建築の視点から言われたことですが、社会のシステムも、ひとつの大きな矢印に個々を集約する時代であったといえるのではないでしょうか。

 例えば、自分というものを消して、組織に隷属、従属する帰属意識が求められたり、個性を発揮しているようで、実は、まさに大きな矢印であるトレンドに乗っていることであったり。つまり、人口が増加し、拡大する社会では、否応なくひとつの平均値に束ね、大きな矢印に集約することが、必要な社会システムであったわけです。

 このとき置いてきぼりにされたのが、小さな矢印たちがもっていた細かなディファレンス(差違)です。

 集約によって生み出された20世紀の繁栄の中で、置いてきぼりにされたこの小さな矢印たちが、これからは活きる時代であると、小嶋氏は指摘しました。この指摘はまさに1/3社会を考えるヒントになると思います。

 大きな矢印に集約されない、細かな差異を秘めた小さな矢印の具体例は、組織に対する個人でもあるでしょうし、都市部に対する地域社会でもあるでしょう。人口減少の中で大きな矢印が成立しなくなっていくからといって、人であれ、街であれ、個々に孤立してはやっていくことはできません。新たな結びつきや連携を目指すはずです。

 実際、普及したSNSなどをみると、そこには既存の組織によるのではない、新しいコミュニティの形成があるのがわかります。こうした新しい結びつきや連携において活きるのは、自分はどんな矢印なのか、ということです。つまり、帰属が求められた時代から、自立が求められる時代になるといえるのです。

◇「民藝運動」に見る、自分らしい在り方

 21世紀は、無数の小さな矢印の時代。そんな時代における自立や新たな連携のあり方を考える上で、最近私が注目しているのは、昭和の初期に始まった「民藝運動」です。指導者である柳宗悦が光をあてようとしたのは、まさに名も無きままに忘れられつつあった、無数のものたちでした。

 柳宗悦は、機械生産される製品が社会のトレンドとなっていく中で、そのトレンドからこぼれ落ちた、いわゆる手仕事の中に次世代の社会を考えるヒントを得ようとした人でした。柳はこうした手仕事を行う職人たちが「貧しい」ことを強調します。

 貧しさは、トレンドからの疎外として憂うべきものではありますが、じつは、ポジティブに評価されるべき状況でもあると、彼は考えました。貧しさがあればこそ美しいものが生まれてきた、と。柳の言う「貧しさ」とは、生きていくことに対する切実さという気がします。職人たちの、必死に生きていかざるを得ない生活実感というか、けなげさ。
 一つ一つは小さなそのいとなみを正しく受けとめる社会像を追究したのが民藝運動でした。

 しかも、柳が大切にしていたのは、職人の手仕事による物の美しさのことだけではなく、いま目の前にある物との出会いを大事にするということでもありました。物と対峙している自分の振るまい方において、より自分らしくならなくては見えないものが在る、ということです。

 例えば、いま手にしている茶碗が、社会から評価されているものだから良い茶碗だと思うのではなく、その茶碗が良いか悪いか決めるのは、自分自身ということです。つまり、物と対峙することによって考え直そうとしているのは、自分の側のこと。社会の評価やトレンドにもブレない、自分らしい在り方についてなのです。

 しかも、これは一人の問題だけでなく、物との出会い方を自分本位で真摯に見出していく姿勢を積み重ねていくこと、その際に何よりもまず他者の切実さに思いを寄せること、そうした姿勢の人が増えていくことが、社会全体を良くする方向につながっていくのだ、という信念が柳にはありました。

 現代では大量の情報がどんどん入ってきてしまう時代でありながら、他者の切実さをなかなか共感し得ない私たちにとって、民藝運動は、多くの手がかりを与えてくれるように思います。

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最終更新:7/28(金) 11:00
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