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実録「青春18きっぷ」で行ける日本縦断列車旅:6日目《只見駅~鶴岡駅》

7/28(金) 17:40配信

サライ.jp

「青春18きっぷ」だけを使って行ける日本縦断の大旅行を企てた、58歳の鉄道カメラマン川井聡さん。南九州の枕崎駅から、北海道の最北端・稚内駅まで、列車を乗り継いで行く日本縦断3233.6kmの9泊10日の旅が始まった。

※5日目《戸狩野沢温泉駅~只見駅》の様子

6日目は只見駅を出発、鶴岡を目指す。

(発売中の『サライ』8月号では「青春18きっぷ」の旅を大特集! 川井さんの旅の全行程も載っています。)

《6日目》只見 7:10~会津川口 8:00

朝6時。カーテンを開けたら、すぐ目の下は只見駅。始発「列車」の姿はまだ見えない。

「始発に乗るんでしょ。朝ご飯できてますよ」というありがたい声で食堂に向かう。昨日もそうだが、米がうまい。

「ご飯美味しいね」

「そりゃそうだよ、魚沼だって近いんだから。」と、昨夜の同宿者から合いの手みたいに声がかかる。おお!言われてみればたしかにその通り。

ふっくらしたほっぺたを動かしながらそう言われると、心の底から納得する。ともかく只見のごはんはうまいのだ。

おもわず「おかわり」を頼んでしまう。でも頼むのに「半分だけね」とお願いしたのは我ながら感心した。こんな早朝から満腹に食べたら、絶対に心地よく寝てしまうからね

宿が駅前になるのはありがたい。重い荷物を背負ってもすぐに駅に到着できる。幸せな胃袋と、不幸な重い荷物を担いで駅前へ。

ただし今日の始発「列車」は線路の上を走らない。只見駅から会津川口駅までは、列車代行バスで行くのだ。

2011年夏の豪雨で、只見線はダムの放流に巻き込まれ、3つの橋が流失した。福島県では311地震に次ぐ大災害だ。当然、国からの支援が出て復旧するものと思われたが、6年以上たった2017年現在でもレールは途切れ、代行バスのままとなっている。

代行バスは運賃や時刻なども列車と同じ扱いなので、青春18きっぷが利用できる。会津川口まで約30キロ。ほかの山間部のバス路線なら1000円以上はかかるところだろう。鉄道の安さと同時に、鉄道が背負う責任の大きささえ感じる。

バスとはいえ、列車代行なので、時間は鉄道並みの正確さが求められている。小出駅を発車してから、各駅の到着時刻は驚くほど正確。「渋滞の心配はないけど、工事の信号規制が重なると気をもみますよ」ぎりぎりに来る学生も待ってあげなきゃいけないだろうから結構大変だ。

一駅停車するごとに定時との差を記入する。幸い今日は時刻通りの走行だ。

会津塩沢~会津蒲生の第8只見川橋梁。橋は残ったが、線路を支える盛土が崩壊した。

本名ダムは天端部分が国道となっている。そこから眺めた第6只見川橋梁跡。本来ならこのすぐ隣に巨大なアンダートラスが罹っていたのだが、見る影も無く流されてしまった。

途中いくつもの地点で、水害にあった線路が見える。いくつもの鉄橋が消え、残った鉄橋の柵も不自然に歪んでいる。あとで聞いたところによると、ゆがんでいるのは水害ではなく、雪のせいだという。線路に除雪車が走らないため、あたりに積もった雪が設備を壊してしまうのだそうだ。あらためて豪雪地帯を実感する。

会津川口に近づくにつれ学生の上客が増加。会津川口駅手前に作られた高校前のバス停で下車していった。彼らにとっては、列車よりバスのほうが歩く距離が短いぶん楽かもしれない。


《6日目》会津川口 8:40~会津若松 10:34

予定時刻通り、会津川口駅前に到着。2階建ての立派な建物である。只見線の中間駅の中で最も大きい駅だが、これは農協と郵便局も同じ建物に入っているせい。

それでも、待合室には売店もありお弁当やお土産・週刊誌などが並んでいる。お菓子や雑誌とともに、地元産が多いのもこの売店の特徴だ。

只見線の写真集やカレンダーをと撮ったのは地元のカメラマン。地元産の米で作ったおにぎりやお弁当を作るのは、もちろん地元のおばさん。変わったところでは、地元産の天然炭酸水も売られている。

この駅の事務室には、珍しいものが残っていた。列車の運行を管理する通票(タブレット)閉塞機である。

単線区間での列車衝突を避けるため、その区間を走る列車の運転士が持たされる通行手形が「通票」であり、そして通票がその区間に一つしか発行されないように管理するのが、この閉塞機だ。

只見線はJR線の中でも最後までこのシステムが使われていたが、被災後の2012年9月23日から、電気信号による特殊自動閉塞というシステムに移行した。しかし只見~会津川口は被災しシステム移行ができなかったため、運行休止中の今も閉塞機が残されていると言うわけだ。

今後、被災区間が復旧すれば当然新しいシステムが導入されるので、この閉塞機を使うことはないだろう。使われることはないものの、建前の上ではいまでも「現役」と言う奇妙な現象が起きている。

せっかく残っているのだから、通票閉塞のまま路線の復旧ができないだろうかと夢想させる光景だった。

おにぎりと炭酸水を買い、会津若松行きに乗車する。プラットホームのすぐ横にダム湖がある。空は快晴。水面は美しくホームから飛び込めそうに思えるほど近い。こんな風景は全国でもここだけだろう。

車両は仙台色や会津色と言われる、下半分が緑のツートン、上半分は白というカラーリングで辺りの景色にマッチしている。

只見線には車掌が乗車している。おそらくワンマン化の工事をするより、従来のままの方が安いという計算なのだろうか。

運転席後ろの料金箱は金銭投入口に蓋がされ、使用禁止となっていた。運転士さんによると故障では無いという。

「この車は小牛田から(会津若松に)来たんですよ。おそらく支社ごとの考え方があるんでしょうね。只見線はトンネルが多いから、こんな機械よりドアで仕切って欲しいんだけど、頼んでみたら『もう捨てちゃった』だって。だから、こんななんです」

会津川口を発車した2両編成のディーゼルカー。乗客は5名ほど。列車はダム湖の縁を水面に沿って走る。水鏡になった湖面とそこに写る景色が美しい。

駅舎が建て替えられたり道路が広がったりという変化はあるが景色は昔と殆ど変わらないが、車窓に見せる表情は毎回ちがうのも只見線の楽しさだ。

晴れているおかげで、山の緑や水面がいっそう美しく、窓から入る風は絶品である。

只見線は日本有数の美景路線だが、乗客は相変わらず少ない。

この線は元々、水源開発のために作られたという側面がある。戦時中から戦後の経済復興期にかけて、産業のコメとなった電力確保するために只見川流域にダムが造られた。その労働力や資材の運搬に使われた鉄道である。

ダムが完成して電力が都会に流れるようになると、住人も都会に流れてしまいいまのような過疎の集落になってしまった。

福島は海岸沿いの浜通りは原発で、山間の会津地域は水力で都会に電力を供給している。ダムを造った只見線が、ダムの放流により廃線の危機に立つほどの被害を受けたというのも、余りに皮肉な話である。

会津川口のダム湖を造った上田ダム、只見川を斜めに渡る第四只見川橋梁、会津川口同様、ダム湖の水面を見下ろす早戸をすぎ有人駅の会津宮下に到着した。ここで下り列車と交換のため約5分の停車する。この時間を利用して駅前へ出てみた。

昭和16年の開業時に建てられた駅舎は、ハーフティンバーの入り口が美しい。ちなみに2011年の水害では会津川口からここまでの区間も被災。同年12月まで代行バスでの運行となっていた。

美しい景色の路線は、自然災害とのたたかいもある意味宿命なのかもしれない。

会津宮下を出た列車は再び美しい奥会津の景色を走る。隣の会津西方をでると、只見線のハイライトである第一只見川橋梁にさしかかる。深い渓谷にかけられたアーチ橋で、只見線を代表すると行っていい鉄橋だ。

今日も山腹の撮影ポイントには10人ほどがカメラを構えている。列車も若干スピードを落としてくれているようだ。窓から流れ込む乾いた風と光が心地よい。

この鉄橋を渡ると、車窓から只見川は姿を消す。線路と川は併走しているのだが距離が離れてしまうのだ。言い換えればこの付近まで川沿いしか線路を敷ける場所がなかった、と言うことである。

沿線に集落も見えるようになり、乗客も少しずつだが増えてくる。

1両目のボックス席にいたのは、銀色の髪のおばあちゃん。入院中の夫を毎日見舞うという。よもやま話をするうちに、「こんな年になって、恥ずかしいようですけど……」と少し口ごもりながらこんな話を聞かせてくれた。

「病院に行ったらいつも主人の耳元で『愛してるわ』って言うんです。そうすると、たまにですけど『オレもだ』って返してくれるんです」

はにかみながら、少女のような表情でそう話す。何か自分にできることは、と考え写真を撮って、さしあげた。

「私、もう何年も写真撮ることなんか無かったからこんな顔してたんですね。私の顔を忘れないようこの写真は爺ちゃんにあげます」と冗談めかしつつ涙をぬぐう。

家から病院のある若松の中心部まで片道役20km。「バスだったら、とっても高くて通えません。この列車のおかげで毎日に会いに行けるんです」という。

列車が夫婦をつないでいた。

10:34分、只見線の列車は終着の会津若松に到着した。


《6日目》会津若松 11:02~新潟 13:39

会津若松から新潟へは、磐越西線の快速『あがの』で行く。発車までしばらく時間があるので、改札口を出て売店へ。

さすがに観光地だけあって、名産や名物が大量に並ぶが、目当ては一つ。米粉をふんわり焼いて醤油をさっと塗った「たまりせんべい」だ。素朴な味わいがたまらない名品だ。

しばしの旅の友を得て、ホームに戻る。

今度の車両はキハ110とキハE120の2両編成。キハE120は新潟地区に8両だけいるとい希少種である。2008年に登場した比較的新しい車両だが、両数が少ないため乗る機会は限られている。

快速「あがの」は、毎日この車両で運行されている。

会津若松から喜多方までは会津盆地を快走する。車内はトレッキング姿の乗客でいっぱい。運転台のメーターをのぞいてみると時速95km。田園風景の中を特急列車並みのスピードで駆け抜けた。

喜多方でトレッキングスタイルの乗客を降ろした後は越後山脈の北辺を走る。とは言え、阿賀野川に沿って下るのが主なので、いっそう軽やかに走り出す。

荻野駅は「化石の里」だ。1980年、この地でカイギュウの化石が見つかったことに端を発し、荻野駅は化石の里をアピールしている。不思議な光景だが、この絵が無ければ関心を持つことも無かったろうから、これはこれで正しい町おこしなのだ。

車内で、北関東から旅のご夫婦と一緒になる。お話ししていると、鉄道とは関係ないところで共通の知り合いがいた。おかげでその話に花が咲き、時間も列車もいっそう早く進んでいった。

快速「あがの」は快速の言葉通り、途中の小駅を通過してゆく。乗り心地は良いし、早さも快適だが、固定された窓はモニターの映像みたい。それに話が盛り上がったから、過ぎてゆくのの早いこと。

さっきまで乗車していた只見線の速度や車両が、沿線の景色をゆるゆる楽しませてくれたから、そのギャップもあるんだろうな。

列車が進むにつれて阿賀野川は大きくゆったり流れるようになる。徐々に広がる越後平野の景色を眺めながら新津に到着、後は平らな大地を突き進んで新潟に到着だ。

《6日目》新潟 13:43~村上 15:04

到着した新潟駅は現在高架の工事中で、なんとなくざわついていた。ここで村上行きの電車にのりかえる。

やってきたのは昨日と同じE-129系。揺れも少なく静かな車両だけれど、田園地帯を走る山手線みたい。通勤電車に乗るような気分で、田園を軽快に駆け走る。

こういう列車の楽しみ方はどうすればいいのだろうか。早いだけなら特急の方がありがたいなぁ。

鈍行列車に5日も乗り続けると、どうやら速い列車より、遅い列車の方が体に馴染むようになってきたのかもしれない。

そして電車は、村上駅に到着。JR直流電車の北限の駅。そして茶畑の北限でもある。と、いってもこの二つになにか関係があるわけじゃない。

村上はもう一つ、鮭遡上の南限というのもキャッチフレーズにしてきた。近年は孵化センターなどの増加で、遡上の南限はもっと南に下がっている。だが、村上の人たちがここを南限というには、歴史的な理由と裏付けがある。

江戸時代に地元の侍が鮭の回帰性を発見して以来、この町では川の整備や鮭の増殖に努めてきた。その甲斐あって村上の鮭は質量ともに高いブランドとなり町の経済を支えてきたのである。周辺の河川にも例を見ない数の遡上を見ていただけに、鮭の遡上を誇るのは無理も無いことなのだ。

プラットホームの屋根からは、ぬいぐるみの鮭がぶら下がり乗客を迎えてくれる。

小一時間ほどの乗り換え時間に駅前を散歩する。観光案内所にも鮭のぬいぐるみ、町の観光施設は「イヨボヤ(鮭)会館」。鮭が町に欠かせない存在なのだと実感する。

ホームに戻って、鶴岡へと向かう電車に乗り込んだ。

《6日目》村上 16:13~鶴岡 17:52

真っ青な海と空を見ながら、クリーム地のボディに赤い帯の入った国鉄色の車輌が走る。

大きく開いた窓から潮の香りも入ってくる。線路のジョイント音はリズミカルなティンパニー。それだけで充分心地よいのだが、村上駅で買った缶ビールがたまらない。寝ちゃイケナイ!いかん!イカン!!と思いつつ、目覚まし代わりに構えたカメラすら落としそうになる。

線路の奏でる音楽をバックに、美景も見たいし美酒にも浸りたい。車窓の酔生夢死。汽車旅至福の快感である。だいたいこんな天気の日に、窓際に酒を置かずしてこんな車輌で旅するなんて、列車にもうしわけない!

ここまでは、車内でいろんな人たちにお話をするのに,酒臭くては申し訳ないと自主規制を続けていたが、もう限界である。

村上駅でこの車輌を見かけたとき、足は自然と改札の外にあるキヨスクへ向かっていた。

列車の乗客は数人。座席はボックスシートの背もたれは直角にそそり立つ伝統的なスタイル。リクライニングは望めないが、豪華列車とはちがう不思議な「ゆとり」や「余裕」を感じられ、開放感がいっそうたまらない。

中学生時代、蒸気機関車を追いかけて北海道を一人旅した頃から、列車の窓は夢の世界だった。もっともその頃に飲んでいたのはファンタオレンジや三ツ矢サイダーだったけど。

羽越本線を走るこの車両は近年、復活塗装されたもの。だが、それでも充分に懐かしい。里山を走るローカル線にこれほど合う色はないだろう。

「寅さん」が旅した列車の大半はこの色調のはずだ。車窓から紺碧の空と海を眺めていると、昭和時代の急行列車で旅しているような気もちになる。

急行色のディーゼルカー、窓から入る、空、海、光、これ以上何を望むというのだ。

そんなことを思ってるうちに,列車はあっという間に鶴岡に到着した。

鶴岡駅のホームには、特別列車「TRAIN SUITE 四季島」乗客用の出入り口やエンブレムがあふれていた。でも個人的には、さっきみたいなディーゼルカーで風を感じる方がいい。

鶴岡の駅から乗り合いのマイクロバスで、平野の真ん中にある民宿へ。夕食に食べた庄内の野菜は、やはり絶品だった。

明日の快晴を約束するように、月山と鳥海山が姿を見せた。

さてこの「青春18きっぷで行ける10日間日本縦断」の旅も、折り返し点を過ぎて6日目が終わった。行程もすでに2/3ほどを駆け抜けた。

ここから先は、乗り継ぎの関係で旅の速度が落ちる。乗り継ぎの悪さは計画的か?と思うほどだが、こういう旅だと待ち時間も楽しくなる。4時間くらいの待ち合わせならどんとこいである。鈍行列車の旅らしく、待ち合わせを楽しんでやろうじゃないか。

明日の予定は五能線を経由して青森駅までの予定である。朝から庄内平野を突っ走る。

<7日目に続く!>

文・写真/川井聡
昭和34年、大阪府生まれ。鉄道カメラマン。鉄道はただ「撮る」ものではなく「乗って撮る」ものであると、人との出会いや旅をテーマにした作品を発表している。著書に『汽車旅』シリーズ(昭文社など)ほか多数。

なお『サライ』8月号では「青春18きっぷ」の旅を大特集! 川井さんの旅の全行程も載っています。

最終更新:7/28(金) 17:40
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