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【キセキの魔球02】ナックルボーラー・大家友和のルーツ

7/29(土) 17:00配信

週刊ベースボールONLINE

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語──。

野球すんやでぇと、昭和的茶の間の原風景

 大リーグで51勝した男が、なぜ36歳で本格派ナックルボーラーに転身したかという謎は、もともと病弱だった男の子がどうしてプロ野球選手を目指すようになり、ほんとうにその夢を叶え、果ては京都の小さな町からメジャー・リーガーが誕生してしまったという突然変異の理由と近いものがあるように思う。

“ナックルボールは人を選ぶ”、つまりナックルボールに認められた者にしか投げることができないと言われるけれど、大家友和のルーツを辿ってみると、そうしたいわくつきの魔球に彼が最後の最後に手招きされたことがそれほど不自然に思えないのだ。

 大家友和は1976年、京都市右京区梅津に、大家家の次男坊として生まれた。兄は7つ年上で、その後5つ離れた弟が生まれている。

 母方の祖母・浪子は大の野球好きで、夏の甲子園大会の中継を見ながらヒザの上に抱いた赤ん坊の友和にいつも語りかけていたそうである。

「ともかずー、野球してやあ。なあ、頼むで、野球すんやでぇ」

 ある夏の日、祖母は友和を行水させようとしてたらいに湯を張った。母が湯上りのタオルを取りに行った隙に、普段は滅多に泣かない友和が突然、泣き出した。慌てて風呂場に戻ってみると浪子がたらいのすぐ横で倒れていた。不思議なことに、まだつかまり立ちもできないはずの赤ん坊の友和がたらいの中ですっと立っているではないか。

 浪子が息を引き取ってしばらくしてから、母は息子の左ワキ腹に大きな痣があることに気づく。そしてそれが浪子の腕の痕だと思い当たった。意識を失う直前、孫が溺れてしまわぬように赤ん坊のからだに右腕を回して引き寄せ、たらいの中に立たせたのである。

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