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戊辰戦争、二本松城が落城~今日は何の日

7/29(土) 9:20配信

PHP Online 衆知(歴史街道)

慶応4年7月29日

慶応4年7月29日(1868年9月15日)、戊辰戦争において、二本松城が落城しました。奥羽越列藩同盟の一翼を担い、郷土を守るために幼い少年たちまでもが果敢に戦ったことで知られます。二本松藩の二本松少年隊は、会津藩の白虎隊よりもさらに年少で、13歳の子供まで入っていたといいます。

慶応4年5月1日に奥州の要ともいうべき、白河城が新政府軍によって落とされました。列藩同盟軍や旧幕府軍は7月まで、何度も奪還を図りますが叶わず、その間に棚倉藩、磐城藩、湯長谷藩、平藩が降伏。さらに三春藩5万石が新政府軍に寝返り、新政府軍にすれば会津若松に攻め込む状況が整います。ただし、南の三春と北の福島の間には、会津藩と国境を接して、二本松藩丹羽氏10万7000石がありました。新政府軍は三春藩を先導役に、二本松藩攻撃を窺います。

当時の二本松藩の兵力は2000程度と見られますが、白河城攻略戦にも人数を出しているため、新政府軍接近を前に兵力は不足、やむなく数え17歳(満15歳)、さらに事態が切迫すると数え15歳(満13歳)の少年までの動員を認めざるを得ませんでした。もちろんそれは藩上層部が独断で決めたことではなく、戦況を知った少年たちが出陣の嘆願を重ねた結果、藩庁が苦渋の決断を下したものです。後に「二本松少年隊」と呼ばれる彼ら少年たちは、62人を数えました。なかでも二本松藩砲術師範役の息子・木村銃太郎22歳を師と仰ぐ、16人の少年たちが異彩を放ちます。木村は伊豆韮山の江川太郎左衛門のもとで西洋砲術の修行を積んで後、4月に帰国すると、藩命によって少年たちに砲術を教えていました。

少年たちに出陣命令が下ったのは、7月26日早朝であったといいます。16歳の上崎鉄蔵は、玄関まで見送りに出た母と祖母が「行ってらっしゃい」と言うと、「行ってらっしゃいではないでしょう。今日は、征きなさい、です」と応えて、母を苦笑させました。

また岡山篤次郎13歳は、出陣に際して母親に所持品のすべてに「二本松藩士 岡山篤次郎十三歳」と書いてほしいと頼みます。 母が理由を尋ねると、「私は書が下手なので、私の字では恥ずかしいのです。名前を書いておけば、戦死した時に、私の屍(かばね)だとすぐにわかりますから」と応えました。

7月27日、郡山と二本松を結ぶ奥州街道上、阿武隈川西岸の本宮、糠沢付近で戦闘が起こり、二本松藩兵130人が出撃しますが、帰還僅か17人という大打撃を被ります。戦死者の中には17歳以下の少年が3人いました。一方、木村銃太郎門下を中心とする25人は、ライフル砲1門、各自に元込めミニエー銃を与えられて、城南の大壇口を守ることになります。彼らは杉木立の中に大砲を据え、畳2枚ずつを並べて胸壁としました。

二本松街道を本宮方面から北上してきた新政府軍が、大壇口に押し寄せたのは、29日早朝でした。 ところが少年たちは敵に先制の銃撃を仕掛け、あわてて近くの民家に身を隠した新政府軍を、今度は大砲で民家を粉砕して、歴戦の薩摩兵を四散させる奮戦を見せます。
激闘の中、指揮を執っていた木村が左腕に貫通銃創を負い、やむなく大砲を使用不能にして、退却を命じます。すでに少年たちは僅か数人に減っていました。そして退却中、木村はさらに腰に銃弾を受け、副隊長の二階堂衛守に命じて、自分の首をはねさせました。少年たちは1人では首を抱えられないので、木村の髪を左右から2人で持って走ります。「隊長が討たれた。どうしっぺ」とべそをかく子もいました。

やがて副隊長の二階堂も銃弾に斃れ、母親に所持品に名前を書いてもらった岡山篤次郎も、2発の銃弾を受けて昏倒します。篤次郎は薩摩藩隊長の手で病院に運ばれますが、「無念、無念」とうわ言を言い、意識が戻ると「鉄砲を持ち来たれ」と気丈にも叫んで、薩摩の将兵を感じ入らせました。しかし、ほどなく篤次郎も絶命。少年たちが守った大壇口が破られる前に、別の口が突破されて、二本松城は炎上し落城しました。

それでも少年たちは戦い続けます。大壇口で負傷した高橋辰治13歳は、城の堀の中に潜伏し、敵数名が通りかかったところに斬り込んで、闘死しました。また同じく大壇口から退却してきた成田才次郎14歳は、たまたま途中で叔父と出会い、「他日を期せ」と忠告されると、憤然として、「必ず敵将の一人でも討ってから死にます」と言い返します。そして一之町で長州藩士・白井小四郎率いる一隊と遭遇した才次郎は、少年と見て隊士たちを制した白井に抜刀して走り寄ると、迷わずにわきの下を刺し貫きました。叔父に放った言葉を実践したのです。才次郎はその場で射殺されました。

二本松落城の日、二本松藩の戦死者337人、他藩からの援軍の戦死者208人。その中に14人の少年たちも含まれます。「戦争はむごい」の一言で片付けるのは容易です。しかし、ふるさとを守ろうとした子供たちの健気な思いに、しっかりと向き合うことも、後世の人間にとって大切なことではないでしょうか。

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