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二重国籍者も置き去り:最後まで口先だった蓮舫氏 --- 新田 哲史

7/29(土) 7:10配信

アゴラ

昨日(7月27日)朝、蓮舫氏の代表継続と衆院転出が極めて困難(http://agora-web.jp/archives/2027420.html)だと書いた矢先、辞職の一報があった。

国籍問題は最後まで反省の色なし。しかも稚拙な「自己否定」

引き際まで説得力を書いた強弁に終始し、汚泥に塗れたような見苦しさだった。国籍問題の影響について「私の国籍に関しては今回の判断には入っていません。まったく別次元の問題です」などと頑強に否定しているあたり、全くもって反省の色が微塵もない。

その強弁が、百万歩譲って政治的求心力を辛うじて保つためのものだったとしても、底の浅さを感じたのはこのやりとりだった。どこのメディアも言ってないようなので、これは指摘しておきたい。(書き起こしはログミー(http://logmi.jp/222394)を参照)

“FACTA・宮嶋氏「参議院議員であるということは、ある種のやはり弱点というか、遠心力と、限界ということがあったのかどうか」

蓮舫氏「まず前段の部分は、それを感じないと言ったら嘘になるとは思っています」”

つまり、蓮舫氏は参議院議員の立場で代表選に臨んで就任しておきながら、衆議院議員が代表だった場合との「格差」を認めてしまったわけだ。中学生の公民の教科書でも学ぶように予算、条約、首相の指名等において衆議院の優越があるのは自明の理なわけだが、それでも、参議院は、長年「良識の府」を謳って曲がりなりにも対等であるべきという自負があったはず。

決して「不運」ではない。そもそも「実力」がなかったのだ

おそらく政治的戦略として、二重国籍問題を保身のために否定しておきながら、なんという中途半端さ、浅はかさであろう。衆参の格差を認めてしまっては、参議院議員として政党の代表を務めてきた根本を自己否定することにつながり、今後、参議院議員が主要政党の代表を務めることの限界があることを、自らの言葉で知らしめてしまったというのは、稚拙だったとしか言いようがない。

辞任のようなネガティブ事象の記者会見では絶対に言ってはいけないこと、潔く認めるべきことの2軸をしっかり打ち立てて臨む必要がある。もちろん記者会見では事前の想定問答を超えるようなやりとりがあるのが普通ではあるが、そういう場面だからこそ、人間力や政治家としての価値観といった根源が問われるし、明らかになる。絶対に言ってはいけないこと、潔く認めるべきことの峻別すらできない人物が、野党第1党だったことに呆れかえる。

山本一郎氏(https://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/13146313.html)は保守論客を自称しながら随分と蓮舫氏に擁護的で「不運だった」と論評しているが、「運も実力のうち」という言葉がある。いや、彼女には、党首として、そもそもの実力も適性もなかったのだ。だから、昨年の代表選で蓮舫氏に1票を投じた議員や党員は、自分たちの眼力のなさを恥じるが良い。

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最終更新:7/29(土) 7:10
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