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伝説的フュージョンバンド・元カシオペアの向谷実が80年代を振り返る「浮かれた状態は長く続かないと確信していた」

7/29(土) 16:00配信

週刊SPA!

あの伝説的フュージョンバンド・カシオペアのキーボードとして、一時代を築いた向谷実(60)。現在は「音楽プロデューサー」「作曲家」だけではなく、「実業家」「コメンテーター」の顔を持ち、「鉄道タレント」としても活躍する彼はどのような思いで80年代を駆け抜けたのか?そう尋ねると、驚くほどクールな語り口であの熱狂の時代を振り返るのだった――

⇒【写真】カシオペア時代の向谷氏

――まずは80年代に突入する以前、1977年に向谷さんがキーボード担当としてカシオペアに参加した当時、日本の音楽事情はどういった様子だったのでしょう?

向谷:まだ「歌のないバンド」が、リスナーだけじゃなく業界内でも珍しい存在とされる時代でした。ましてや全国ツアーまでやるなんて、あり得なかった。テレビに出たら「今日の歌のお客様です」と紹介され、「歌はないんですけど……」とオチがつき、ラジオに呼ばれたら「ボーカルは誰ですか?」と真剣に質問されたり、そういう日々の繰り返しで……。

――「ボーカルを入れない」というスタイルには、強いこだわりがあった?

向谷:いや、「メンバーにたまたまボーカルをできる人間がいなかっただけ」なのが、正直なところです。いたら、たぶん「歌のあるバンド」になっていたんじゃないかな? 「売れるための戦略」的なものも、あまり深くは考えていなかった。ジャンルだって、僕らにいたっては「ジャズ」「フュージョン」「クロスオーバー」と、勝手にいろいろカテゴライズされていたし……。最初のレコードのオビには「ニューミュージック」と書かれていました(笑)。メンバー全員が、とにかく楽器にワガママでしたね。16ビートのリズムを刻み、その上にわかりやすいメロディを、さり気なくお洒落なハーモニーで乗せる「弾くのは難しいけど、聴くにはやさしい音」をひたすらストイックに追求する……本当に僕たちが考えていたのは、ただそれだけでした。

◆「ちょっと通っぽいインスト」が人気に

――80年代に入り、カシオペアの名は一気に日本中に広がっていくことになりました。向谷さんご自身は「ブレイクの潮目」を実感した瞬間はありましたか?

向谷:「ブレイクした」という実感はそうないんですが、80年代に入って。初の全国ツアーを行ったあたりから、ライブに来てくださるお客さんの質が変わってきた印象は確かにありましたね。女性ファンが会場の半分近くを占めるようにもなってきて……。それまでは男ばかりで、拍手の前にヒソヒソと「解説」が始まるんですよ。「さっきのフレーズはこうこうこうで、こういう効果を狙っていたんだよ……」とかって(笑)。そんな大人しいお客さんたちが、やがて控えめに立ち上がる人も出てくるようになり、それがそのうち全員になり、挙げ句には地方だとステージになだれ込んできちゃうまでにエスカレートしていきました。もちろん、インターネットもないあのころに、ほとんど口コミだけであれだけの人が集まってくれたわけですから、それは単純にうれしかったし、ファンのみなさんには今でも本当に感謝しています。

――なぜカシオペアがそこまで80年代の若者の支持を受けたのか、向谷さんの見解をお聞かせください。

向谷:うーん、もっと売れているバンドはほかにもたくさんあったんですけどね……。強いていうなら「インストゥルメンタルといった演奏スタイルがドライブとかにも向いていたから」じゃないのかな? しかも、少しだけ通っぽくて(笑)。あと、「エアチェック」がちょうどはやっていたのも大きかったと思います。「ちょっと通っぽいインスト」って、FMでも流しやすいんですよ。実際、リスナーの方々から、リクエストも多くいただいていたようですし。

――時代背景的な影響は?

向谷:若い世代が“新しい楽しみ”、自分の好きなものを必死に模索し、日本人の価値観も多様化し始めた時期に「一風変わった編成のバンド」がハマった、というのはあるかもしれません。

◆「浮かれた状態は長く続かない」と確信していた

――人気バンドの一員として過ごした80年代を、向谷さんご自身はどのように見つめていたのでしょう?

向谷:人からいわれて「コレがバブルなんだ」とようやく気づいた程度で、浮かれた気分もなかったですし、特別な意識はなかったですね。むしろ「ココに絡んだら絶対に共倒れ、沈没する」くらいに冷めた目で眺めていました。本格的なバブル景気に突入する前の1985年には、すでに今の自分の会社を設立していたんですよ。カシオペアのバブルは世間と少々ズレていて、すでにもうそこそこ稼がせてもらったので、だから「個人のマネージメントは自分でしよう」と自己投資に踏み切ったわけです。「こんな状況は長く続かないだろう」って確信もありましたし、バブルで浮かれていたほかのバンドに対する、レコード会社側の客観的な評価もよく耳に入ってきましたから。

――やはり、周囲は結構浮かれていたわけですね?

向谷:80年初頭、いわゆる「バブル前夜」のころって、見方を変えれば「高度成長期のクライマックス」じゃないですか? 為替が変動し、円がすごい力を持ちはじめ、「俺たちなかなかやるじゃん」みたいな空気がだんだん蔓延し出してきて。戦後、日本人の心の奥底にずっとあった劣等感が、妙な優越感に変わってしまった時代でした。でも、お金に踊らされて、誰もが「右にならえ」と馬鹿騒ぎに興じているさまは、はっきりいってかっこ悪かったし、好きじゃなかった。そりゃあ、楽しいこともいくつかはあったけど、あのころに戻りたいとは決して思わないですね。

<カシオペアの主なアルバム>

●『THUNDER LIVE』(1980年)

3rdアルバム。各メンバーが、まだ全面に押し出していた難易度の高い演奏テクをLIVE収録したマニアックな一枚。どれだけ手や指を速く動かせるかを競い合う軽音楽部のセミプロプレーヤーらが演奏を解説しあいながら、こぞってコピーしていた

●『EYES OF THE MIND』(1981年)

5thアルバム。アドリブパートと音数を減らすことによって空間性を重視。西海岸風なポップス色とBGM感が強まり、おそらくこのころから女性ファンも急増しはじめた。カシオペアがメジャーバンドとなるターニングポイントに

●『SIGNAL』(2005年)

40thアルバム。このリリースを最後にカシオペアは活動を休止し(2012年から活動再開)、向谷は脱退を表明。Sync DNAとのコラボ、ツインドラムなど、実験的試みも多い一枚で、その後ソロとなった向谷は、より精力的に音楽活動を行っていく

取材・文/山田ゴメス

日刊SPA!

最終更新:7/29(土) 16:00
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