ここから本文です

40代目前、車いすでの競技転向 鍛え直し再び世界へ

7/31(月) 7:47配信

NIKKEI STYLE

 30代後半で他競技に転向した。メダルにこだわるアスリートは「純粋に一から挑戦できることが気持ちいい。年齢なんて関係ない」と豪快に笑い飛ばす。
 車いすバスケットボールの日本代表だった安直樹さん(39、電通アイソバー)は2年前、ボールを剣に持ち替え、2020年東京パラリンピックの表彰台を目指している。
 茨城県生まれ。根っからのスポーツ少年だったが、中学生のときに手術ミスで左足股関節が曲がらなくなる歩行障害が残った。ふさぎ込んでいたところ、母親に隣町の車いすバスケチームを紹介された。
 高校から本格的に打ち込み、04年アテネ・パラリンピックで代表に抜てき。日本人で初めてイタリアのプロリーグでもプレーした。だが若手の台頭もあり、08年、12年大会は代表から外れる。
 そのころ20年東京大会の開催が決定。まだ体力に自信はある。「熱くなれる競技はほかにもあるはずだ」と様々な競技を試し「チャンバラ遊びみたいで楽しい」と車いすフェンシングを選んだ。
 不安もあった。車いすバスケは選手同士が激しくぶつかりあい「格闘技」とも呼ばれるが、車いすフェンシングには細かな技術が必要だ。車いすを固定し上半身を使って戦うため、鍛え上げた筋肉より体幹の強さがカギとなる。
 15年に挑んだワールドカップは「ブンブン振り回していただけ」で予選全敗だったが、持ち前の運動量で同年の全日本選手権は優勝した。
 スポンサーなどに恵まれていた車いすバスケ時代には見えなかった練習環境の課題が見えてきた。特に練習相手の少なさは深刻で「ひたすらイメージトレーニングで終わる日もあった」。自身は障害が比較的軽いカテゴリーAに属するが、確保できる練習相手は重度障害のカテゴリーBの選手。コーチも東京におらず、ほぼ独学状態だ。
 東京大会を見据え、企業などは障害者アスリートの雇用や支援に力を注ぐが、練習や移動などの多くは選手自身が手配するのが実情。安さんも例外ではない。「企業に所属しながら競技ができるのはありがたい」としながらも「このままでは世界で勝てない」と危機感を募らす。
 競技が盛んな東欧で経験を積もうと、6月中旬からウクライナで約1カ月の短期合宿に臨んだ。渡航費などは自腹だが「ほかの選手が後に続き、レベルアップする土壌ができるなら」と前を向く。
 日本代表のヘッドコーチを務め、元香港代表で金メダリストの馮英騏さん(37)は「自分で考えて行動する積極性がある」と評価する一方、「実力はまだまだ。目の前のことを一つ一つ乗り越えてほしい」と勝負の世界の厳しさを指摘する。
 車いすバスケ時代、体のホールド力が必要と考え、カーボンで尻の型をとった特注の車いすを使っていた。「体の一部のように操れるようになり、格段と動きやすくなった」。当時の経験を生かし、今夏からは動作解析の専門家と新たな車いす開発にも取り組む。
 「海外に踏み出すことでようやく世界で戦うためのスタートラインに立てる」。車いすバスケでは届かなかったメダル獲得が目標だ。
(石原潤)
[日本経済新聞朝刊2017年6月25日付]

最終更新:7/31(月) 7:47
NIKKEI STYLE

記事提供社からのご案内(外部サイト)

ライフスタイルに知的な刺激を。
生活情報から仕事、家計管理まで幅広く掲載
トレンド情報や役立つノウハウも提供します
幅広い読者の知的関心にこたえます。