ここから本文です

『渋谷音楽図鑑』牧村憲一が語る、2017年に繋がる「都市型ポップス」の系譜

7/31(月) 17:00配信

リアルサウンド

 「渋谷と音楽」をテーマにした書籍『渋谷音楽図鑑』が、7月4月に太田出版より刊行された。同書は、音楽プロデューサーである牧村憲一氏と藤井丈司氏、そして音楽ジャーナリスト柴那典氏による共著であり、渋谷の街で音楽はどう育まれてきたか、そしてこれからどうなるのかーーその過去と未来をひもとく書籍である。

 今回、リアルサウンドでは牧村憲一氏にインタビューを行った。牧村氏は、大滝詠一、山下達郎、大貫妙子、竹内まりや、ピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギター、L⇔Rといったアーティストの宣伝や制作を手掛けてきた音楽プロデューサーであり、およそ50年のキャリアを持つ。書籍についてはもちろん、渋谷の街の変遷や、「都市型ポップス」の系譜、そして2017年現在の音楽シーンに至るまで、じっくりと話を訊いた。(編集部)

■「渋谷というのは一つの“記号”のようなもの」

ーー渋谷の街が50年の間に地理的にも文化的にもこれほど発展したこと、そして70年代~90年代にかけて一時代を築いた音楽家たちと接点を持った街だということに、改めて驚かされました。

牧村憲一(以下、牧村):渋谷というのは一つの“記号”のようなものです。この50年ほどで、これだけ変貌を遂げた渋谷という一カ所から、渋谷と何らかの縁があった音楽、音楽家たちのことを書く。「都市型ポップス」と表現しているように、渋谷だけではなく、東京を中心とした音楽と拡大解釈してもらった方が良いかもしれません。その時代ごとにいくつもの場所や街が機能してきたなかで、僕は著者の一人としてたまたま定点観測してきたのが生まれ育った場所である渋谷だった。一番は新宿、二番が池袋で、渋谷は三番目という時代もあったし、もっと昔でいえば、日劇ミュージックホールやライブハウス、シャンソン喫茶がいくつも並んでいた銀座の時代もありました。その中で、『渋谷音楽図鑑』では、戦後50年間の中で、特に渋谷の街が大きく変わり始めた80年代~90年代を軸に、音楽において渋谷の街がどれだけ大きな機能を果たしたかという点に着目したんです。

ーー渋谷の街が活気付いてきて、レコード店やライブのできる場所が色んな形で増えてきたということですね。

牧村:はい。これは本全体に言えることですが、何かのブームが起こると、みんなブームの表面だけを見るんですね。誰々がヒットしてるとか、あのキャパシティのホールを埋めたとか。でも、どんな音楽も突然オリジナルが生まれて突然ブームが来るのではなく、その前からずっと歴史が続いてきている。音楽の歴史はどこまでも遡れるんです。そうすると、渋谷に象徴される「都市型の音楽」というものが存在することに気づきました。

ーー「都市型ポップス」というものには、脈々と受け継がれている系譜があるということですか。

牧村:そうです。例えば60年代に日本にフォークソングが入ってきた時に、東京の学生たちの受け止め方は、アイビールックに身を包みギターを弾いて、舞台はキャンパスだった。ところが、同じフォークを関西で実践すると、ブルースやプロテストソングといった意味合いがないとフォークじゃないというふうになる。同じ文化を受け入れても、表現する方法が違うということです。それは人の問題でもあると同時に、土地柄の問題でもあったのではないか、というのが僕の考えです。そのなかで、渋谷の街に象徴される東京、あるいは都市型の音楽を俯瞰で見てみると、歴史や時代は違えども共通した、何か一本通ってるいるものがある。渋谷はそもそも川に恵まれた地域でしたが、街として発展するためには川が邪魔になったんですね。川が街を分断してしまうので。なので川を全部地下に入れて、その上に道路を作った。そのように、地域開発が結果として利点になったわけです。渋谷は、あまり大きな土地ではないですが、この50年の中で本当に様々なことが起こりました。

ーー細野晴臣さんや山下達郎さんなど、牧村さんが出会い、関わった人たちの多くは、今もまだ現役で活動し、新曲を作り続けています。

牧村:一緒に仕事をしたみなさんが数年で音楽をやめてしまっていたら、僕もきっと残ってないだろうし、本を書くというチャンスもなかった。だけど僕が出会った人たちは本物で、しかも生涯音楽家。さらに、それが一人じゃなくてたくさんいらっしゃる。これは偶然の集まりかもしれないけど、このことはきちんと伝えておきたいと思いました。こういう音楽がどうやってできたのか解析すると、50年前に作られた音楽も30年前に作られた音楽も昨日作られた音楽も、実は美術館の名画鑑賞のように繋がっていく。日本ではなかなか難しいんですけど、パリで1日休日があると美術館に行くのが大好きで。何が面白いって、有名な絵の前に学生さんたちが並んで模写してるでしょ。それを半日見てるんですよ。素晴らしい絵を直接見て模写するのは、僕らが子供の時に音楽を聴いて「いい音楽だな、こういう音楽やってみたいな、作りたいな」と思うのと同じなんです。それを見ていて、今の新しく音楽始めたいと思っている人たちに「僕らが発見したことを教えるよ」と手渡せるような本にまとめたいと思いました。

ーー第6章では、実際に楽譜をもとにはっぴいえんど「夏なんです」(1971年)からコーネリアス「POINT OF VIEW POINT」(2001年)まで、その繋がりをひもといています。

牧村:本全体としては渋谷を定点観測した物語ですが、第6章では、音楽の、非常に実技的、実用的な部分を入れました。これからも渋谷の街で、まったく新しいことのように見えながら、実は過去50年の歴史と重なるようなことが起こると思っています。むしろ、「これを模写してほしい」ということですよね。音楽を始めた人に、「盗むっていう行為は悪いことじゃない。模写する行為も悪い行為じゃないよ」と。「それを自分の体の中に吸い取り、そして十分発酵させて出てくるものはオリジナルであり、あなたのものだから」と。偉そうですが、この本がちょっとでも役に立ってくれればなと思ったんです。5年10年経って、このままじゃなく改訂版のような形でどんどん書き足していったり、新たな人が加わったりして、何かの礎になってくれればいいなと。

■「自分がかつてワクワクした音楽を同じようにワクワクしている若い人たちがいる」

ーーこの本が2017年に出版されるのは運命的だなと思いました。

牧村:ありがとうございます。僕もなんとなくそう感じています。

ーー小沢健二さんや小山田圭吾さんが数年ぶりに新作をリリースしたり、また星野源さんがきっかけで細野さんに若い世代からも注目が集まったりというのもありますし、一方でそこから影響を受けただろうceroやnever young beach、Yogee New Wavesも、コアな音楽ファンだけではなく、もっと広いところに届き始めてるタイミングだなと。

牧村:小山田くんと小沢くんは2人ともそろって今年のフジロックに出ますからね。それからnever young beachやSuchmosも、もはやメジャーの仲間入りをしてるし、新しい人たちが今年はぐーっと出てきていますよね。上半期が終わり、今は下半期に突入したけれど、2017年は音楽にとって忘れられない年になるような気がします。今年は何かが起こる年だって気配を感じていて。

ーー気配を感じたというのは、何か具体的なことがあったんでしょうか?

牧村:小山田くん、小沢くんの今年に入ってからの活動、さらには細野さんが新譜を作っているとか、今年初めには坂本龍一さんも8年ぶりのアルバムを出したとか。でも思い返すときっかけはDAOKOさんかな。

ーーDAOKOさんも「ShibuyaK」という渋谷の街を歌った曲がありますね。

牧村:2年前に片寄くん(GREAT3の片寄明人)がプロデュースやアレンジを担当していた作品(アルバム『DAOKO』)がきっかけで。片寄くんとショコラ(Chocolat & Akito)のコンサートに行った時にDAOKOさんを紹介してもらったんです。その前から「水星」を聴いていて、「面白いなあ、ラップということだけではなく、何だろうこの新しさと親しみ感?」と思っていた。それでDAOKOさんに直接聞いたら、彼女は両親の影響でシュガー・ベイブなどのレコードを聴いて育ったみたいなんです。その時に、「やっぱりチェーンみたく繋がってるんだ」と確信して、それ以降DAOKOさんの動きを追っているうちに、never young beachやcero、Suchmosらがどんどん視野に入ってきた。そうすると、「あれ? 彼ら彼女らがやってること、僕がよく知ってる感じだぞ」と。自分がかつてワクワクした音楽を同じようにワクワクしている若い人たちがいる。その共通項がすごく重要で、どうやらこの数年そういった動きが重なってきて、ついに2017年に若い人たちの大好きなものと、それをずっと守ってきた、持続してきた人たちが出会った。実際にフェスやイベントで誰々と誰々が会ったって記念写真がSNSにあがっていたりね。意図的に何かを仕掛けなくても、すでに混ざり合ってきてる状況ができあがってきているんです。

ーーnever young beachやYogee New Wavesは「シティポップ」「ネオシティポップ」という言い方もされていますが、この本では「都市型ポップス」という言葉を使っていますね。

牧村:70~80年代は、「ニューフォーク」「ニューロック」といったように、“ニュー”をつける傾向にありました。「ニューミュージック」も、吉田拓郎から松任谷由実まで、それまでのいわゆる歌謡曲ではないものを全部ひとまとめにしていた。そのなかで、はっぴいえんど系列と呼ばれてる人たちをあえて分けるために使った言葉に、「シティ」という言葉がありました。1970年代に「風都市」という企画集団があって、これを二つに分けると「ウィンド」と「シティ」になる。彼らはマネージメント会社の「ウインドコーポレーション」と、音楽出版会社の「シティミュージック」を作った。この「シティミュージック」というのが、シティの始まりだったと思う。失礼な言い方だけど、「シティ」と宣言することで、四畳半フォークとか、一発成功型の地方との区別化ができるという、ある種の差別もあった。だから、僕はこの本ではそうした経緯を持った「シティ」という言葉を使わずに、「都市型ポップス」という言葉を新たに使いました。「都市」は東京だけじゃなくて、もちろん中小都市も含んでいる。もし、かつての「シティミュージック」について書いた本だとしたら、もっと偏った狭いものになっていたんじゃないかな。「都市型ポップス」というのは、偏ることなく、広範囲の音楽を示せて、志の高い音楽を全部受け入れられる言葉だと思っています。

ーー渋谷という一つの場所を拠点に、多くの人が集まってきて、結果的に大きなムーブメントが起こっていく。その場所のことを、この本の中では「磁場」と呼んでいますね。

牧村:僕の親は推理小説マニアだったんだけど、松本清張が推理小説やエンターテインメント小説だけじゃなくて古代史のことを書いている著作があって。そこから僕が影響を受けたのが、歴史ある神社の敷地を掘っていくと、前の時代の宗教の跡が出てきて、最後には一つの石にたどり着く。拝火教ですね。人が集まるのは、何か特別な意味がある場所だと思うんですね。それは渋谷の街にも適応できるだろう、と僕は考えました。ある地点を掘っていくと、それぞれの歴史の中で重要なものが護石のようにあるような気がしました。音楽の歴史の中でも、掘っていくことで出会うものがあるはず。それに出会えるのか、出会えないのか、出会っても気づかないこともあるはずだけど、僕はラッキーなことに渋谷の歴史の上で大事なポイントに何度も立ち会ってきたし、その度に「なんだろうこれは?」と好奇心が生まれました。その価値がまだ定まっていないなかでも、「自分の中のこのこだわりは何だろう?」「何が僕を吸い寄せてるんだろう?」と考えて、とにかく自分の感覚を信じてやってみようと思った。その結果が、レコードやレーベルを作ることに繋がりました。

ーーその「磁場」は70~90年代だと公園通り、道玄坂、宮益坂を中心に存在しており、「ジァン・ジァン」「BYG」などの喫茶の名前がでてきます。今の渋谷にも音楽の磁場となる場所はあるのでしょうか?

牧村:それがなかなかわからないところですね。あえて一つ挙げるとしたら、現状ではスペイン坂のWWWやWWW Xではないでしょうか。磁場であるかどうかは別として、少なくとも集まりやすいということを叶えていると思います。出演者の負担額なども考えると、渋谷は場所代が高いんですよね。お客さんの数と、そこでかかるお金のバランスが取れるっていうのは渋谷のど真ん中だとなかなか難しいんですよ。

ーーその二つのライブハウスはもともと渋谷を拠点にしていたスペースシャワーが運営していて、面白いイベントをいくつも企画している。キュレーション的な動きも活発な印象もあります。

牧村:「ネオ渋谷系」みたいな言葉がもし成り立つとしたら、あそこが中心になってるのではないでしょうか。先ほど話したDAOKOさんも出演してますし、こけら落とし公演をceroがやったというのも。しばらくの間は、発信地になっていくのではと思います。

■「知への憧れや技術の練磨を評価するいいチャンスが巡ってきた」

ーーなるほど。牧村さんがプロデューサーとして活躍された70年代から今にかけて、やはり一番音楽に影響を与えたのは、90年代にインターネットが普及したことだと思います。インターネットは「磁場」になり得るんでしょうか?

牧村:一番難しい質問がきたね(笑)。僕らがネットに関わり始めたのは80年代の終わりにニフティサーブという商用ネットが始まった時で、インターネットブームより前なんです。そこは善意の場所でした。音楽のサークルを作ると、本当に音楽好きな人たちが集まってくる。商用ネットをきっかけに、僕はずっと30年近くネットと付き合っているけど、そうやって動いてるうちに商用ネットの中にも、ある種の悪というか、マイナスが出はじめた。その後インターネットが広がり、たとえばNHK Eテレで『schola』という坂本龍一さんがやっている番組があって、放送が始まると、Twitterでは中継も交えてリスナー同士での解説がはじまるんですよ。そうやってコミュニケーションして、一つの番組を中心に音楽論を展開して、面白い流れを生んでいた。ネット自体が善意にあふれたものだった。ところが、それが拡散すると悪意が混ざってくるわけです。

ーーそれはネットの特性の一つというか。

牧村:クローズだったら成立するんだけど、オープンにした瞬間から悪意が混ざってきちゃう。じゃあクローズにしておけばいいじゃないかと考えることもできるけど、クローズってことはお互いに相通じ合う人間たちだから、もともとサークルは作れるわけで、その代わり拡散ができない。沢山の人を引き込みたい、同じような考えの人たちが集まってほしい、あるいはそれを一つの軸にしながら、新たにいろんな人たちが参加してほしいーー閉じ込めるんじゃなくて広げたいのに、今はある種身を守るためには閉じるしかないという、その矛盾するものを、ネットは抱えているのではないでしょうか。インターネットの中に新たなサークルを起こすことは、プラスと同じだけのマイナス面を背負う覚悟があればできる。僕が大事だと思うことは、人格を開放しなくちゃいけないということ。逃げも隠れもしませんと、オープンにして初めて相手が信用してくれる。だからといって相手もオープンになるとは限らないけれど、軸になる人間はごまかしてはいけない。今はリスクもあるけれども、リアリティのあるところに人が集まってくる時代なのではないかと思っています。

ーーなるほど。70年代からずっと音楽シーンを見てきた牧村さんの目には、今の音楽シーンはどう写っているんでしょうか。インターネットとともにMP3やYouTubeが出てきて、今はストリーミングサービスもあり、テレビやラジオといったメディアの価値も変わってきている。さらに、90年代の終わりには日本でもフェスが始まって、今では日本各地に多数のフェスが存在しています。

牧村:僕は起こってることに対していちいちあれはよくないとか昔はよかったなんて全然思わないんですよ。僕らが70年代に若者と呼ばれた時には「おまえらは……」と散々いじられたわけですから(笑)。それで「うるせえ!」と言って続けてきた。僕らが「よし、俺たちは俺たちの時代作ってやるんだ」と思ったように、今の人たちもそう思ってるでしょう? ただ一点、その目線の先を、手短なところで済ませちゃうのか、もう少し頑張ってその先を見たり、あるいはうんと振り返るとか。そこが“知”の世界だと思うし、知るっていうことほど面白いこともないから。わーっとEDMで踊って楽しいというのもあるように、知ることで「うわー! 面白い!」っていうのもあるから、その両方を楽しんだらとは思っていますね。手短で刹那的なもののウエイトがちょっと増えちゃってるから、そうじゃないものもやってみると面白いよね、と。そういう意味では、今まさに新しくシーンを作ってるような人たちが夢中になってるものを、得体の知れないものだと思わないで一緒に学べばいいし、僕たちが夢中になったものも、体験してその面白さを知ろうとしてほしい。その交流がもっと楽になったらいいなと思ってます。

ーーこの本でも1964年の東京オリンピックが、渋谷の街を変えたきっかけになったと書かれています。今まさに2020年に東京オリンピックが迫るなかで、ceroやnever young beachのような都市型ポップスの系譜にあるポップミュージックが注目を集めているという状況は、興味深い現象だと思います。

牧村:先ほども話したように、自分たちが発見したものを体の中に取り入れて、改めて外に出したものはやっぱりオリジナルなんです。そうやって僕らは先人の財産を引き継いできた。一時期握手券みたいなものがはびこる時代もあったけれど、そうじゃない音楽があるんだと、たくましく続けてた人たちがどんどん力をつけてきて、今表に出てきた。そうなると「でも売上は向こうは数十万枚でこっちは一桁少ないじゃないか」って数の話にする人もいるけれども、音楽のエネルギーは“数×志”じゃない? 上ったものは必ず下がる時はくるし、音楽の歴史もそう作られてきた。2017年は、そういう人間の持ってる知への憧れとか、技術の練磨を評価するいいチャンスが巡ってきた年だと思っています。

若田悠希

最終更新:7/31(月) 17:00
リアルサウンド