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広島・衣笠祥雄、大記録達成への最大のピンチ?【1979年8月1日】

8/1(火) 11:10配信

週刊ベースボールONLINE

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月1日だ。

 1987年、当時の世界記録2131試合の連続試合出場記録を更新(最終的には2215試合まで伸ばす)。鉄人と言われ、国民栄誉賞も授与された広島の衣笠祥雄。その輝ける金字塔に向けた最大のピンチが1979年8月1日だった。

 実はこの年、衣笠は極度の打撃不振に陥り、足かけ6年続けてきた連続試合フルイニング出場記録を日本記録まであと22試合残して5月末でストップしていた。落ち込む衣笠にとって、その日は連続試合出場への最大のピンチであると同時に、野球観が変わった日でもあった。

 広島市民球場の巨人戦、7回二死二、三塁。打席に入った衣笠に巨人の先発・西本聖が投じた初球が左肩に当たる。西本は立ち上がりから好投を続け、試合は7対1と巨人がリード。しかし、この回突然乱れ、三村敏之、萩原康弘に続く、このイニング3つめの死球だった。

 西本はすぐ衣笠に駆け寄り、「すいません、すいません」と頭を下げたが、西本を押しのけるようにして両軍が大乱闘。試合再開後も動揺した西本が走者一掃の二塁打を浴び、KO。結局、8対8の同点で終わった。西本は当時入団5年目。駆け寄った際、衣笠から「大丈夫。僕はいいからベンチに戻りなさい。危ないぞ」と言われたという。

 衣笠は肩甲骨の骨折で全治2週間の診断。しかし翌日の同カードには古葉竹識監督に直訴し、代打で出場。江川卓が3球続けたストレートにすべてスイングしての空振り三振。試合後、「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のために」と語り、3球目の理由として「死球は僕の逃げ方の問題もあった。僕は大先輩なのだから、もう少しうまく避けてやればよかった。そうすればケガもせず、西本君も責められることはなかったでしょう」と答えた。

 さらに衣笠は後年のインタビューで当時を振り返り、こう語っている。

「ファンは死球を受けて痛がっている選手を見に来るわけじゃない。颯爽と一塁に行けばいい。痛ければタイムをかけ、ベンチに戻って治療すればいいだけです。そのときはもうスランプも乗り越えていたし、物事をシンプルに見ることができるようになった。本当に79年はいろいろありましたね。それで少しは大人になれたのかな」

 鉄人の異名は、体の頑丈さだけをさすものではなかった。

写真=BBM

週刊ベースボール

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