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【沢村栄治 栄光の伝説(15)】打倒沢村へタイガースの猛特訓

8/1(火) 11:30配信

週刊ベースボールONLINE

2017年は元巨人の沢村栄治が生誕100周年の記念すべき年だ。大リーグ選抜相手に8回1失点と好投した偉業は、今なお伝説として残る。戦火に散った大投手の野球人生とは――。

 1936年冬、日本プロ野球初の公式戦年度王者を決める洲崎決戦で巨人に敗れたタイガース。そのとき打線に不在だったのが、ケガで入院していた松木謙治郎だ。柔道の有段者で、豪傑で知られた男は、悔しさに歯ぎしりしていた。

 年が明け、1937年2月11日、タイガース全員が久々に集まった。すでに退院していた松木は、敗北の最大の要因である沢村栄治を打倒するため、石本秀一監督に秘策を進言する。

 それが「三歩前の打撃練習」だった。

 発想は松木の明大時代からだ。松木自身が「大学時代に対戦した中で、一番球が速い人だった」という早大のエース、伊達正男の速球対策として、松木が明大・岡田源三郎監督とともに考えたのが、二歩前から投げる打撃練習だったという。“速球に目を慣らし、始動を早めるため”の特訓と言えるだろう。そのときは実際、明大打線は伊達攻略を成功させている。沢村に対してはさらに一歩多く、三歩前で打撃練習に挑むことにした。

 この話を聞いた後もタイガースのチーム内には小川年安のように「沢村を打つには、とても打てない直球は捨て、カーブを狙ったほうがよい」という声が多かったようだが、松木は「巨人を打ち負かすには、沢村の命を打つ。武器を打つしかない」と主張。石本監督もそれに賛成した。

 すべてを秘密裡で進めるため、練習時は甲子園球場の入り口の扉をすべて閉め、かつ石本、松木は「親子、兄弟がグラウンドに来ることも禁止する」と全選手に言い渡した。やや芝居がかっている話ではあるが、それほどタイガースの男たちのプライドは、沢村にズタズタにされたのだ。

 桐生中出身の青木正一が主に打撃投手役となった。三歩と言えば、1メートル50センチほどだろうか。打者は当初まったく打てなかったが、それでも日を重ねるにつれ、少しずつ当たるようになってきた。

 ただ、それでも沢村は打てなかった。1937年春のシーズン。優勝は41勝13敗2分けの巨人で、2位が41勝14敗1分けのタイガース。その差は、間違いなく沢村だった。巨人─タイガースは8試合あり、うち巨人の5勝3敗。その5勝はすべて沢村だ。さらに5月11日、洲崎球場での戦いでタイガースは沢村にノーヒットノーランを喫している。なお、日本プロ球界のノーヒットノーラン第1号も沢村で、このときが2度目。前年の9月25日、甲子園で沢村が大記録を達成した相手も、やはりタイガースだった。

 37年春、沢村は24勝4敗、防御率0.81で最多勝、最優秀防御率。タイガースの豪傑たち、特に松木のリベンジに向けた闘志は、燃えに燃えていた……。

<次回へ続く>

写真=BBM

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