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【石田雄太の閃球眼】人生初の甲子園

8/1(火) 17:50配信

週刊ベースボールONLINE

 高校野球をはじめて身近に感じたのは、今からちょうど40年前の夏のことだった。
 
 1977年、夏の甲子園。

 その当時は名古屋に住む中学1年生で、プロ野球だけでなく高校野球も夢中になって観戦し始めたころだった。毎日、テレビの前に陣取ってあらゆる試合のスコアをつけながら、地元の代表をメーンに心ひかれる高校を一生懸命、応援していた記憶がある。
 
 その年の夏の愛知県代表は東邦だった。東邦は2回戦からの登場で、まずは高松商を6対2で下し、3回戦では黒沢尻工を8対0で圧倒してベスト8に勝ち進んだ。さらに準々決勝では熊本工を4対0、準決勝では大阪代表の強打・大鉄を逆転、また逆転の激闘の末、5対3で下してついに決勝進出を果たした。思えばあの準決勝、1年生エースと騒がれた坂本佳一の調子はいまひとつ。大鉄に1対3とリードを許した8回表、三番の大矢正成、主将を務めていた四番・森田泰弘の連続タイムリーで試合をひっくり返したシーンは、今でも忘れられない。

 忘れられないといえば、準決勝の第2試合も強烈な記憶として残っている。東洋大姫路と今治西の一戦。今治西のエース・三谷志郎の存在はじつに鮮烈だった。三谷はマウンドに立つと手足が長く、やたらと大きく感じられた。試合中、表情を変えることなくスイスイと投げてゼロを積み重ねていく。知的なイメージを醸し出すメガネと、カーブを交えたクレバーな配球が、スラッとした三谷をいっそうスマートに感じさせた。

 一方、東洋大姫路のエース、サウスポーの松本正志もカッコよかった。土で汚れたユニフォームのまま試合を重ねてきたせいか、あの夏の東洋大姫路には泥くさいイメージがある。あの準決勝でも、ハッキリ覚えているのは試合中に松本が受けたピッチャーライナーだ。打球が左足を直撃し、松本はマウンドで倒れて苦悶の表情を浮かべていた。それでも松本は続投し、三谷と投げ合った。

 三谷がバッターとして外野の間を抜き、三塁を回ったときはテレビの前で大騒ぎしたものだ。しかし、タッチアウト。ランニングホームランかという三谷の一打も得点には結びつかず、クールな三谷、熱い松本の投げ合いは0対0のまま、延長に突入した。そして延長10回、試合はスクイズで決着を見た。三谷が敗れ、松本が勝って、東邦の決勝での相手は東洋大姫路に決まった。

 その翌日、父に連れられて初めての甲子園球場へ足を運んだ。ネット裏、やや一塁側のわりと高い位置に陣取って、東邦対東洋大姫路の決勝をナマで観たのである。子どものころのプロ野球観戦はどの試合もハッキリ覚えているのだが、あの夏の甲子園球場も忘れられない。超満員に膨れ上がったスタンドは真っ白。ユニフォームも、両校とも白かったはずなのに、TOHOは真っ白、TOYOは土の色だった。

 坂本、松本の投げ合いで1対1のまま延長に突入した熱戦は、しかし突然、終わりを告げた。延長10回裏、東洋大姫路の四番・安井浩二がライトのラッキーゾーンへサヨナラ3ランホームランを叩き込んだのだ。右バッターの安井が、まるで引っ張ったかのようなフルスイングでライトへ打ち上げた弾道は、今もこの目に焼き付いている。

 準優勝を成し遂げた東邦は、名古屋市内で凱旋パレードを行なった。といっても選手たちがバスに乗って窓から手を振るといった地味な感じではあったのだが、もちろんそのパレードも見に出掛けた。そこで撮った一枚の写真には、カメラを向ける中学生のほうを見てくれた東邦の森田主将が写っている。この写真は、名古屋の中学生にとって、かけがえのない宝物となった。

 40年前の夏、甲子園で躍動した三谷、松本、安井、坂本、大矢、森田……彼らは当時、甲子園に夢中になった中学生にとって、間違いなくスーパースターだった。後にプロへ進んだのは松本だけだったが、それでも彼らはプロ野球選手以上に輝いて見えた。甲子園というのはそういうところなのだ。誰もが脳裏に刻みつけているはずの、人生初の甲子園――。初めての夏から積み重ねてきた記憶の連鎖があるからこそ、夏の甲子園には郷愁のようなものを呼び起こす力があるのかもしれない。


文=石田雄太 写真=BBM

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