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今日は何の日~朝鮮に出兵した日清両国が宣戦布告

8/1(火) 19:10配信

PHP Online 衆知(歴史街道)

明治27年8月1日

明治27年(1894)8月1日、日本と清国が互いに宣戦布告し、日清戦争が始まりました。 日清戦争を、日本と清が朝鮮半島を取り合った侵略戦争と見る向きもあるようですが、実際はどうであったのでしょうか。

1880年代に入って、イギリスがビルマを、フランスがベトナムを支配下に置くなど、西欧列強のアジア進出はさらに勢いを増していました。そうした背景の中において日本が望んだのは、朝鮮の領土ではありません。朝鮮の独立と近代化でした。
なぜ日本は、朝鮮の近代化を支援し、またなぜ清はそれに反対して、日本を敵視したのか。これを理解するには「華夷秩序」というものを知っておく必要があります。「華夷秩序」とは、中華王朝が世界の中心であり、周辺国は中国に朝貢使を派遣して臣従し、中国と政治的文化的関係の深い国ほど上等の国、関係が遠いほど野蛮で下等な国とする考え方をいいます。 東アジアではベトナムもジャワもマレーもこの秩序の中に組み込まれて長い年月を経ており、唯一属さなかった国は日本のみでした。

一方の朝鮮は、いわば「華夷秩序の優等生」であり、全面的に中国に臣従することに自国のアイデンティティを求めていたほどです。 しかし19世紀に入ると、西欧列強のアジア侵略により、清はアヘン戦争に敗れ、西洋がもたらす近代国際社会の中に否応無く引きずり込まれることになります。 長い年月、「華夷秩序」の頂点にあった清にすれば、対等な主権国家同士という近代国際社会は受け入れ難いものでした。 さらにイギリスがビルマを、フランスがベトナムを押さえると、清にとって周縁で残る朝貢国は朝鮮のみとなりました。もし朝鮮が独立すれば、「華夷秩序」は完全に崩壊してしまいます。 折しも明治維新を行なった野蛮国・日本は、朝鮮の独立を促そうとしており、許せない…これが、清が日本を敵視した理由でした。

一方、「華夷秩序」に属してこなかった日本は、東アジアに進出してくる列強の力を敏感に読み取り、明治維新を起こして近代国家を目指します。 その日本が最も脅威と感じたのが、ロシアでした。ロシアは明治24年(1891)にシベリア鉄道建設を始めます。シベリア鉄道が完成すれば、ロシアは数日でヨーロッパの大軍を極東に送り込むことが可能になりました。日本は鉄道が完成する前に、ロシアに対抗できる措置を取らなければなりません。喫緊の課題は、日本と大陸をつなぐ位置にある朝鮮半島を、ロシアの勢力下に入れてはならないということでした。そのためには、ロシアに対抗できる力を持たない清国に朝鮮を支配させておくわけにはいかず、朝鮮を清から独立させ、近代化させなければならないと考えたのです。

しかし近代化の問題は、容易ではありませんでした。日本が国内で目指した近代化は、西洋の文物を取り入れるだけでなく、学校制度、裁判制度、衛生など社会の近代化も進め、国民国家を建設して国力を高めることにありました。一方、清や朝鮮は、最新の鉄砲や軍艦は取り入れても、社会の近代化は無用とし、朝鮮は、あくまで「中華への服属」をよしとして、独立しようという気もなかったのです。清ももちろん、そんな朝鮮を支配し続けようとします。これでは列強に太刀打ちはできません。それならば「頑迷固陋な清国と朝鮮に対し、日本が近代的価値観を示すことによって、アジアの覚醒を促すしかない」「人類普遍の文明の進歩の道に、清国と朝鮮を導きいれていく使命が日本にはある」と、福沢諭吉や内村鑑三らの知識人も考えるに至るのです。

日清戦争を表面のみを見れば、あたかも日本と清が朝鮮を取り合うように見えるかもしれませんが、その実は、「華夷秩序」と「近代化」の是非をめぐる戦いであり、背景には刻々と迫る列強、とりわけロシアに対する日本の強烈な危機感があったことを押さえておく必要があるでしょう。

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