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大阪桐蔭とガチで打撃戦。府立校・大冠は地元中学の軟式出身者が主役

8/1(火) 8:00配信

webスポルティーバ

 7月30日に大阪信用金庫シティスタジアム(旧・舞洲ベースボールスタジアム)で行なわれた、センバツ王者・大阪桐蔭と初の決勝進出を果たした公立校の大冠(おおかんむり)の大阪大会決勝戦。終盤まで1点を争う展開となったが、大阪桐蔭が底力を見せつけ、8回裏に5点を挙げて10対4と一気にリードを広げると、スタンドの観客から「ここまでか......」と大きなため息がもれた。しかし、大冠の選手たちには誰ひとりとして試合をあきらめる者はいなかった。

【写真】大阪桐蔭は2年生が凄すぎる!

「ここから逆転するぞ。何があるかわからんのが、高校野球なんや」

 大冠の東山宏司監督の声に選手たちはもう一度、気持ちを奮い立たせた。すると、代打で起用された165センチ、53キロの背番号14・山口剛史が、大阪桐蔭のエース・徳山優磨からレフト左に弾き返す二塁打を放った。

 試合前、“徳山対策“として東山監督は「ストライクは全部振れ」と指示。打席での積極性こそ大冠の野球であり、その姿勢は最後まで貫かれた。

 この一打にスタンドのボルテージは一気に上がった。一死後、さらに3連打で2点を加え4点差。なおも一死二、三塁の場面で、実況していたラジオのアナウンサーはこう言った。

「ここでヒットが出て、ふたりの走者を置いて、もし一発が出れば同点です」

 プロ野球チームでもなければ、大阪桐蔭や履正社のようにプロ注目のスラッガーがいる強豪私学でもない。しかし、アナウンサーに「もし」を言わせてしまう打線。それがこの夏の大冠だった。

 大冠は、東山監督の母校である大阪府立島上高校の分校・島上大冠として1986年に創立(95年に大冠として独立)。野球部は1989年と1992年の夏に5回戦まで進んだが、概ね1つか2つ勝って、負ける......という戦いを繰り返し、全国的にはまったくの無名チームだった。

 おそらく全国の高校野球ファンのなかにも、「大阪桐蔭と決勝であたる大冠ってどんな学校?」と思った方は多かったのではないだろうか。

 4、5年前までは他県に練習試合に行くと、「だいかん」と読まれることが多かったという。ちなみに、大阪の高校生の間では「おおかん」の呼び名で通っている。

 名前の印象から私学と思われがちだが、前述のように大阪府高槻市大冠町にある府立校だ。「お金もできるだけかけたくない」と、ユニフォームは上から下まで白で統一。左胸に黒っぽい崩し文字で縦に「大冠」と力強く書かれている。

 この夏、左胸の文字のように力強く勝ち上がり、最後は2点差まで詰め寄るなど王者を慌てさせた。本気で狙っていた甲子園には一歩届かなかったが、創部以来最高成績となる準優勝。新たな歴史を刻んだ。

 試合後、東山監督はこう語った。

「バッティングを掲げてきたウチの野球はできました。ただ、結果として甲子園に連れて行ってやれなかった。気持ちのある子が揃ったチームで、厳しい練習にもついてきてくれた。私に力があれば、勝ち切れたかもしれなかったのに......」

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