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東日本大震災を生き延びた子どもが2年半抱え続けた、母親にも語らなかった記憶とその思い

8/1(火) 6:30配信

ダ・ヴィンチニュース

 阪神淡路大震災、東日本大震災、その他の災害も同様に、起こった当時は大々的に報じられる。被害状況、人々の様子がありありと映し出され、目にする者の心を引きつける。しかしそれから時間が経つにつれ、どんどん人々は関心を失っていく。被災地の人々は、今でも懸命に「いつもの日常」に戻るため、必死に生き続けている。本当に映し出すべきは、被災直後ではなく、被災から立ち直る人々の現在の姿ではないだろうか。

 『透明な力を 災後の子どもたち』(河北新報社/東京書籍)は、東日本大震災を生き延びた子どもたちの、災後の歳月を追ったものだ。震災の傷跡は深い。未だ消えるものではない。それでもあの日の恐怖を受け止め、必死に生きようとする彼らの姿がここに記されている。本書より、母親にも語ることなく2年半抱え続けた、ある子どもの記憶とその思いを紹介したい。

 鈴木翔真君はあの日、海岸から約1.5キロ離れた保育園で昼寝中だった。しかし突然の激しい揺れに跳び起きた。園庭に出ると、轟音と共に黒い波が迫ってくるのが見えた。逃げるため飛び乗った車に波が迫る。ところが反対方向からも波が押し寄せ、慌てて車から降りた。近くの民家に駆け込んだとき、翔真君の友達2人が間に合わずに流された。

 それから小学校に上がった翔真君。ふさぎ込むこともなく、以前と変わらないように見えた。しかし依然として、震災当日のことはあまり話したがらない。芯がむき出しになるほど鉛筆を噛むことがあれば、雷に怯え、「ぼく死ぬ」と怖がることもあった。どんな思いでいるのだろう……。母親は気になっても、深く聞くのはためらわれた。

 翔真君が震災のことを初めて文章にしたのは、小学3年生の6月。学校で取り組んだ「防災の手紙」がきっかけだった。翔真君ははじめ、「怖いから書かない」と嫌がった。担任の先生は「それでいいよ。書けるときに書けばいい」と見守った。手紙を次々と発表する同級生に触発されたのか、翔真君もついに「防災の手紙」を書いた。

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