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「シュートは卑しい単語だ」と教えてくれたゴッチ先生――フミ斎藤のプロレス読本#057【カール・ゴッチ編エピソード5】

8/1(火) 8:50配信

週刊SPA!

 199X年

「きのう種をまいたからといって、きょう花が咲きはじめるわけではない」

 カール・ゴッチのお言葉は、そのひとつひとつが“神様”からの啓示である。お年寄りだからというわけではないだろうけれど、なんでもストレートにいい切っちゃう。

 パンクラスの日本武道館大会を観終えたあと、ぼくはゴッチ先生とおしゃべりがしたくなって、フロリダに電話をかけてみた。

 まず、船木誠勝と鈴木みのるがどんな試合をしているかを報告しなければならない。船木の相手は、ゴッチ先生みずからが半年間もかけてケイコをつけたグレゴリー・スミットだった。いくらゴッチ先生のコーチを受けたといっても、ひょろひょろのスミットはやっぱり船木の敵ではなかった。

 もうひとりのゴッチ門下のトーマス・プケットは、下痢と発熱によるバッド・コンディションで今回は日本行きをあきらめた。

 ゴッチ先生は、自分を慕っている日本人レスラーたちがまだ“蹴っている”かどうかを知りたがっていた。キックとパンチはあくまでもディフェンスであって、オフェンスではない、というのがゴッチ先生の考えだ。

 いいタックルをもらわないように、キックを使って距離をはかる。キックやパンチで相手との距離を縮めたりフェイントをかけたりしておいて、タックルに入っていく。つかまえてしまえば、あとは徹頭徹尾レスリングですよ、というセオリーである。

「1対15、ではどちらが強い?」

 ゴッチ先生はたとえばなしがうまい。スタンディング・ポジション(立っている状態)はひとつ。グラウンド・ポジション(寝ている状態)での乗っかり方は少なくとも15通り以上。どんなポジションからでも腕、ヒジ、手首、肩、首、足首(アキレス腱、ヒール、トー)に手が届く。

 ひとつの関節の極め方にもありとあらゆるフォームがある。ゴッチ先生は、ふたりのレスラーがリング上で向かい合って“つっ立っている”シーンが嫌いだ。とにかく、相手を寝かせてしまわなければレスリングにならない。

 ハイブリッド・レスリングというまだ耳慣れない表現は、ゴッチ先生が語る格言のひとつというわけではなかった。

 ハイブリッドhybridとは“混合物”“雑種”“複合型”といった意味の形容詞で、ハイブリッドのあとにもうひとつ名詞をつなげて“ハイブリッド○○”とすると、品種改良を加えてもとのフォームよりもベターになったなにか、というニュアンスになる。

 ハイブリッド・コンピューターは、デジタルのよさとアナログのよさが融合したコンピューター。ハイブリッド・カーは、ガソリンでも電気でも走る自動車。自分たちがめざすレスリングを“ハイブリッド・レスリング”と命名したのは船木だった。

「わたしはそんなハイクラスな単語は使わん。“オール・イン・レスリング”と呼べ、といったのだ。すべての要素を備え持ったレスリングだ」

 ゴッチ先生は“パンクラス”という団体名にはたいへん満足している様子だった。ドイツ語なまりで“パンクラスPANCRASE”と発音すると、なんだかすばらしい響きになる。

 「しかし、だな」とゴッチ先生はつづけた。

「シュートshootという表現はいかん。シュート・レスリング、シューティング、どれもダメだ。なぜだと思う?」

 これはちょっとむずかしい。

「それは“シュート”がインサイド・ランゲージ(業界用語・隠語)だからだ。レスラーとそのまわりにいる人間にしか通用しない卑しい単語だ。インサイド・ランゲージは、人をあざむく言語なのだ。なにも隠すことなどないのだから、正々堂々としていればいい」

 そこまで話すと、ゴッチ先生は「ほかのみんな……」である藤原喜明や前田日明のことを気づかった。

 ゴッチ先生は5分ごとに「もう日本に行くこともないだろうが」と口にした。奥さまのエラさんの体調があまりよくない。ゴッチ先生自身もぜんそくが出て、困っている。

「キミ、日本からかけているのかね」

 ついさっき、日本武道館で観てきたパンクラスの試合のことを話したばかりなのに。

「もったいないから、もう切りなさい」

 ゴッチ先生は、夏が来ると70回めの誕生日を迎える。(つづく)

※文中敬称略

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

日刊SPA!

最終更新:8/1(火) 8:50
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