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【キセキの魔球03】1勝右腕がなぜアメリカへ?

8/2(水) 12:00配信

週刊ベースボールONLINE

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語──。

24年ぶりの高卒ルーキー4月初勝利

 大家友和が大リーグを目指してアメリカに渡ったのは1999年3月、22歳の春だった。ボストン・レッドソックスとマイナー契約を交わし、メジャーより二つ下の2Aで開幕を迎えた。8勝無敗の成績で早くも6月中旬にマイナーの最高峰3Aに昇格。そこでも3連勝して、マイナー・リーグ11勝無敗の記録を残し、マイナー歴3カ月半という異例の早さでメジャーに昇格した。

 7月19日、ボストンのフェンウェイパークで、日本人9人目の大リーガーとしてメジャー・デビューを果たしている。

 メジャー昇格直前、大家はこう語っている。

「アメリカに来てから野球が楽しくなりました。日本と比べものにならないくらい厳しいけれど、でも、楽しい。こっちに来てから、自分がやりたいことが“ふつう”にできるようになりました。それが一番大きい」

 彼が言った“ふつう”のこととは何だったのだろうか?

 大家は1993年京都成章高校3年の秋、横浜ベイスターズからドラフト3位指名を受け、プロ入りしている。1年目、高卒ルーキーとしては12球団ただ一人、当時の、その年一軍出場資格を見込んだ40人枠入りを果たし、開幕は二軍スタートながら、4月下旬に早くも一軍出場選手登録されている。

 デビュー2戦目となったヤクルト戦で勝利投手となり、1970年近鉄バファローズの太田幸司以来となる高卒ルーキー4月初勝利という大記録を打ち立ててしまった。

 しかし、彼がその日投げた球はたったの3球。8回表二死二塁のピンチで中継ぎとして送り込まれ、一人の打者をレフトフライに打ち取ると、その裏、味方が大量得点で逆転して勝利したため、大家に勝ちがついたのだ。

 当時の横浜、近藤昭仁監督はこう言っている。

「やっぱりこの男には、運があるんだろうなあ……」

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