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醍醐寺の僧が大学で語った「正しく生きる」仏教の教え

8/2(水) 20:11配信

サライ.jp

「仏教は人の持つたくさんの苦しみ、その苦しみから逃れることを考えた教えです。苦しみから逃れるためには正しく生きなければならない。これを示してくれるのもまた、仏教の教えなのです」

立命館大学の公開講座でこう語ったのは、洛南の名刹、醍醐寺の執行・総務部長を務める仲田順英師。では「正しく生きる」ために私たちはどうすればよいのか。

■仏の教えは信じる人それぞれの分だけある

立命館大学で開催している無料の公開講座「立命館土曜講座」第3200回は「お寺巡りをしたくなる祈りの心」と題され、多くの人にとっては日常的に接することが少ないであろう仏教の根本に触れるよい機会となった。

仏教は「縁(えにし)」をとても大切にする。「縁」とは“結びつき”。「縁」に心を寄せ、自分の心の佇まいを整えていく教えが、仏教なのだという。

仏教にはたくさんの宗派や、国ごとの特徴があるが、仲田師によれば、仏の教えはそれを信じる人それぞれの分だけあるという。どの教えに心を寄せ、どう自分の心の佇まいを整えていくのか。これらはすべて、自分の心の内にある。

仏教には、自分の心を整えていくときの指針となるべき教えがある。

たとえば「三密加持(さんみつかじ)」。「三密」とは「身」と「口」と「意」。つまり、身体と口と心である。

身体は楽をしようとするし、口からは悪口や陰口が出るし、心にはズルをしようとする思いが生まれる。この3つは、人が背負うべきカルマ(業・ごう)、「三業(さんごう)」を生む場所だ。

密教では、この業を受け入れて、清らかにし、その状態を保つために「三密加持」の行をおこなう。

それをさらに具体的にしたものが感覚器官を整える「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」である。「六根」とは口(味覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、眼(視覚)、身(触覚)、意(意識)の6つの感覚器官のこと。これらを清らかに保つ行が「六根清浄」だ。

仏教の基本は、「三密加持」や「六根清浄」をすることにより、自分の心をきれいにしていくことだと、仲田師は説く。

もちろん私たちは、本格的な「行(ぎょう)」はできない。しかし、私たちが仏の教えを理解し、行動のなかで仏の教えを心がけることで、私たちなりの「行」をおこなうことができるのだという。

■日常の暮らしを正す8つの教え

では、実際に「行」を行なうとき、どこにどう気をつければいいのか。その答えも仏教書の中に書かれているという。

その一つが、極端に寄らない「中道」の教え。そして、もうひとつが、正しい行いを示す「八正道(はっしょうどう)」の教えである。

「八正道」とは、次の8つ。

(1)正見(しょうけん):正しい人生観、世界観、倫理観。
(2)正思(しょうし):正しく思い巡らすこと。
(3)正語(しょうご):正しい言葉づかい。
(4)正業(しょうごう):正しい行動や行為。
(5)正命(しょうみょう):正しい生活や態度。
(6)正精進(しょうしょうじん):正しい努力を続けること。
(7)正念(しょうねん):正しい気遣いや思慮。
(8)正定(しょうじょう):正しい精神統一。

これを念頭に置きながら生活をする。これなら私たちにもできそうである。そして、最後に大切なのが「祈りの実践」である。

■なぜ祈りが大切なのか

「祈りの実践」とは、たくさんの命に囲まれて私たちが生きている、と自覚することだという。

それは、他の命との「縁」を考えること。考えてみれば、私たちが今あるのは、はるか昔から続いてきた命のリレーがあるからであり、毎日食する食べ物も他の命をいただくものばかり。

他の命に心を寄せるために、仲田師は次のことが大切だと説く。

●命と命の結びつきについて考えること。
●命への感謝、私たちを支えてくれているものへの感謝を持つこと。
●人との出逢い、偶然と必然、一所懸命と一生懸命について考えること。
●縁(えにし)への思いを抱くこと。

これが仏の教えを、私たちの身の内に持つということだ。他に生かされ、他のために生きることを考えよう。

たとえば、ご飯を食べる時の「いただきます」。そこには、他の存在を見つけ、命と命、命と自然を結びつける「祈り」の基本がある。その思想は、人種も宗教も超えていく。

人間が“文化”を持てたのも、この「祈りの心」を持ったからこそなのだと仲田師は説く。自分の大切なものを守りたいという祈りの心が、“文化”につながったのである。

■病の治癒を願う「祈り」は届くのか

もともとお寺は、人が集うコミュニケーションの場所であった。しかし、いま京都で、なかなか僧侶に出会う機会も少ない。

仲田師によれば醍醐寺は、僧侶が当たり前のようにそこにいる、僧侶に尋ねれば答えが返ってくる、そういう場所となることを目指しているのだという。

講座の最後に、受講者からこんな質問があった。身内に病の子がいるので、朝な夕なとお寺にお参りしている、でも、そんな祈りは届くのか、と。

仲田師はこう語った。

「人のために祈ることは“祈り”の実践です。祈りの思いは巡り巡っていつか自分に返ってきます。治るとも治らないとも言えませんが、祈りは必ず人を救うことになります」

醍醐寺の開祖は、理源大師・聖宝(しょうぼう)。弘法大師・空海の孫弟子にあたる人物だ。真言宗を学び、その後、奈良で南都仏教を修め、修験道の道も極めた。真言宗の教えと修験道の教えを融合させたのが聖宝であり、醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山にして、当山派修験道の本山となっている。

そんな醍醐寺の中には、仏教、真言密教、修験道、この3つの教えが流れ、息づいている。

普段出会えない名刹の僧侶の講話に、大学の教室で耳を傾ける。その貴重なひとときは、何ものにも代えがたい体験であろう。

文/植月ひろみ 写真/植月ひろみ

※この記事は小学館が運営している大学公開講座の情報検索サイト「まなナビ」からの転載記事です。

最終更新:8/2(水) 20:11
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