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<青い空白い雲>大親分が"微罪"で逮捕! ヤクザに「人権」はないの?〈サンデー毎日〉

8/3(木) 12:02配信

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 ◇牧太郎の青い空白い雲 631

今回は「ヤクザの不運」を書きたい。

 概(おおむ)ね半世紀前、日本には「ヤクザ」を容認する気風が残っていた。任侠(にんきょう)をテーマにした浪曲が一定のファンを持っていた頃のことだ。

 例えば、東京・本所にある中高一貫教育のわが母校(誤解されるとまずいので、今回は匿名)の体育教師は、「国鉄総武線沿線の名だたる親分の倅(せがれ)はわが校が面倒を見ている」と自慢していた。当時、高校3年生の僕の2年下に、住吉連合四代目・碩上(せきがみ)義光組長の倅がいた。

 総武線沿線の土地土地にそれぞれ「ヤクザの縄張り」があった。本所から向島にかけては「関根組」の縄張りだったような気がする。関根賢組長は群馬県生まれ。家は家禄1200石の武家。父親は教育者だったが、どうしたことかヤクザの道を選ぶ。本所・向島区あたりの博徒を束ね、「関根組」の看板を掲げたのが昭和11(1936)年。第二次大戦で、軍部から"国家奉仕"の依頼があって、右翼の児玉誉士夫氏らと共に鉄・銅資源の収集に加わり、国家に尽力したという。

 当時、向島には「赤線」があった。用心棒はカネになった。「戦後、配下1万人という時代もあったんだ」と例の"ヤクザに詳しい体育教師"から聞かされた。

 関根組長は自民党の大物とも親しく、60年安保では児玉氏の指導で関根組長を含めて、首都圏の任侠右翼は左翼陣営と渡り合っている。ヤクザは「時の政権」の用心棒でもあった。

 治安維持に貢献があった、という理由で、日本最大暴力団となる神戸の山口組の「中興の祖」田岡一雄三代目組長は、水上警察の一日署長を務めた。

 昭和の時代、ヤクザはそれなりの「役に立つ存在」だった。

    ×  ×  ×

 この夏、珍しい出来事があった。

「関東関根組二代目継承盃儀式」が行われたのだ(6月1日、茨城県土浦市)。関根賢組長が亡くなってから40年目の二代目襲名である。あまりに遅すぎる。これには複雑な事情があったようだが、あの名門「関根組」復活! 一本どっこで、広域暴力団とは距離を置いている。

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最終更新:8/3(木) 12:02
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