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柏原竜二は真剣に思う。「スポーツとサブカルを結びつけられないか」

8/3(木) 11:20配信

webスポルティーバ

柏原竜二が語った「引退とその先」(後編)

 柏原竜二は、現役を引退してしばらくした頃、大学卒業前に知り合った2人の友人と箱根を旅行した。学生時代に選手として何度も訪れた場所だが、観光で訪れるのは初めてだったという。

【写真】柏原が語った引退の真相

「初めて旅行してみて、箱根ってこんなにいい町だったんだなと気づきました。町で会う人はみんな『よく来たね』と言ってくれましたし、箱根駅伝の寄せ木細工の優勝トロフィーを作っている工房では、職人さんが『これもあげる、あれもあげる』と何でもくれようとするからビックリしましたよ。一緒に行った友達には、『殿様みたいだね』と笑われました(笑)。

 箱根駅伝ミュージアムにも初めて足を運んだんですが、そこには僕のシューズも展示されていました。僕は寄贈したつもりでしたけど、ミュージアムの関係者の方は『シューズは、あくまで預かっているもの』と気遣ってくれて。現役をやめた後でも僕を大切に思ってくれている方々に出会って、一時は苦しいこともありましたが、あらためて箱根を走ってよかったと思うことができました」

 それは、柏原が”山の神”の称号を受け入れられるようになったからだろう。富士通陸上部での苦しい5年間は、そのためにあったのかもしれない。

「富士通に入ってからの5年間は、自由に競技に取り組ませてもらって、陸上部の福嶋正監督も最後の最後まで引き止めてくれましたし、そこは感謝しかありません。ケガをしていても、変わらずに声援を送ってくれるファンや職場の方がいてくれたことは、本当に幸せでした。結果を出せなかった分、いろんなことを考え、いいことも悪いことも教えられた5年間でした」

 そんな感謝の気持ちが、「これまでやってきたことを富士通にどう還元させられるか」という想いにつながる。

 職場が企業スポーツ推進室に変わる際、「陸上以外のスポーツも盛り上げたい。柏原にアメフトに関わらせてみたらどうだろう」という室長とアメリカンフットボール部GMの意向で、Xリーグ終了まで富士通フロンティアーズに籍を置くことになった。柏原は、その知らせを聞いた時の心情を「正直、僕に何をやらせたいのか、わからない部分もありました」と、苦笑いで振り返る。

「畑がまったく違いますからね。陸上は自分を追求するスポーツなのに対し、アメフトはコンタクトスポーツ。マネージャーとして何をしたらいいのかわからず、不安と緊張でいっぱいでした。でも、いざ挨拶に行くと、アメフト部のみなさんは温かく受け入れてくれて、『この人たちに何を返せるかな』と、前向きな気持ちに変わりました。

 陸上部のスタッフとして残っていたら、こうはいかなかったと思います。長く競技を続けていたプライドや、『もっとこうすればいいのに』といった思いが強く出すぎていたんじゃないかと。まったく知らないアメフトだからこそ、チームが勝つために役に立ちたいと純粋に考えることができたんです」

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