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死を想い、人生を想う 長嶋有『もう生まれたくない』

8/3(木) 11:00配信

Book Bang

 見知らぬ誰かの死を、私たちはテレビやラジオのニュース、あるいはSNSなど、さまざまなメディアを通して知り、個人的な体験に応じて何らかの感慨を抱く。のちのちまで記憶したり、忘れたりもする。

 この小説は、そうした「死の知らせ」が日常生活に入り込んでくるようすを、軽やかに変奏しながらくり返し描くことで、死までの距離を精密に描き出す。現代における「メメント・モリ」(死を想え)を、みごとに形にしてみせた小説である。

 二〇一一年七月、二〇一二年十月、二〇一三年六月、二〇一四年四月。震災四カ月後から始まり、四つの季節が描かれる。大学職員、非常勤講師、学生など、登場人物の大半は同じ「A大学」に関わりがあるが、全員が知り合いというわけではない。顔を知っている、すれ違うだけ、という関係もある。

 小説の中に点在している彼らをもう一つの線で結ぶのが「死の知らせ」である。たとえばアップル社のスティーブ・ジョブズの、STAP研究の笹井芳樹氏の訃報を複数の人間が別々の場所で聞く。ジョブズのような有名人だけでなく、事故の被害者や、桜塚やっくん、シルビア・クリステルのように知る知らないが極端に分かれる名前も出てきて、個人的な記憶を想起させる。

 訃報を挿(はさ)んで、登場人物の人となりが浮かび上がる。彼らの身辺にも動きがあり、彼らに関わりのある死についても描かれる。家族の死や子供を巻き込んでの交通事故、ゲームの中で人を「殺す」体験。当事者には重いが、伝え聞く人にとっては重みも薄れ、おびただしい「訃報」の中のひとつになる。

 直接、震災を描くわけではないが、この小説もまた「震災後小説」のひとつである。登場人物の遊里奈はこう思う。「誰もが、いつか死ぬことを認識している。でもそれが次の瞬間だと知ることだけは、できない」。死を想うことで、自分と、無数の他者の人生を想うことができる。

[レビュアー]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

新潮社 週刊新潮 2017年8月3日号 掲載

新潮社

最終更新:8/3(木) 12:36
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