ここから本文です

「とことん自分らしく燃え尽きて」 名ウインガー石川直宏を突き動かした葛藤

8/4(金) 7:10配信

THE ANSWER

ストライドの大きなダイナミックな疾走…攻撃的スタイルを標榜するクラブの象徴に

「すごく波があるという点で、僕とチームカラーが似ている。だから僕が変われば、チームも…、と考えることもあります」――石川直宏

【動画】50メートル宙を舞ったボールがゴールネットへ…鳥栖・趙東建が放った衝撃的な「ハーフウェイ・シュート」

 かつてFC東京は、原博実監督(現・Jリーグ副理事長)の指揮下で、ワイドにスピーディーな攻撃スタイルを標榜し、人気を高めてきた。そしてまさにMF石川直宏は、上昇気流に乗るクラブを象徴する選手だった。

「あの頃は本当に楽しかった。僕がボールを寄こせ、と動き出す。MFには宮沢(正史)さんとかがいて、右サイドへとボールを浮かせる。もう僕がトラップする前から、SB(徳永悠平)のオーバーラップが始まって…。形になりかかるところからワクワクしていました。ただ、良い時は行け行けで気持ちいいくらいいくんですが、悪くなってしまうと歯止めが利かない。自分も含めて応用する力がなかったですね」

 ストライドの大きなダイナミックな疾走は、後天的なものだったという。

「小中学生の頃は、真ん中のポジションでパスを出す側だったので、細かくタッチするためにストライドも大きくなかった。身体も小さかったので、スポーツをやっていない子にも負けちゃうくらいでした」

2009年には15ゴールと得点能力も開眼、爆発力を秘めているからこその意外性

 転機は横浜F・マリノスのユース時代。トップ下には天才肌のMF大橋正博が君臨していたので、サイドにポジションを移しパスの受け手に立場が変わった。「そのうちにマークする相手を一瞬で置き去りにする快感を覚えた」そうである。

 希少価値の高いウインガーは、ちょうどピッチを幅広く使う原監督率いるFC東京のスタイルにフィットした。

 一方で2009年(城福浩監督時代)には、15ゴールを記録して得点能力も開眼。日本代表にも選出されている。

「シュートの技術は、FWの出身の原監督から教えてもらいました。でも当時はシュートを打ちたくても、そこにいなかったし、そこに入っていくまでにパワーを使い過ぎていた。ゴールが増えたのは、プレーエリアが近づき、トラップしたらすぐに打てるようになったのが大きかったですね」

 爆発力を秘めているからこその意外性、さらには不安定さも含めて魅力だったが、看板選手だけに冒頭のような悩みもあった。

「面白いサッカーをしながら、やはり喜んでもらうためには結果も必要になる。年齢的にも、自分でガンガン行くより、少し周りを活かしながらと考えた時期もありました。でもやっぱりとことん自分らしく燃え尽きて、と願う気持ちの方が強くなりました」

 そんな石川も、8月2日に今季限りでの現役引退を表明。痛快な選手生活も最終コーナーを回った。

◇加部究(かべ・きわむ)

 1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

加部究●文 text by Kiwamu Kabe

最終更新:8/4(金) 8:27
THE ANSWER

記事提供社からのご案内(外部サイト)

THE ANSWER

株式会社Creative2

アスリートを目指す子供たちや競技者の育成とスポーツの普及をテーマとした総合スポーツニュースサイトです。