ここから本文です

松井大輔らしい移籍の決断。磐田からポーランドへ。誰もが惹きつけられる男の新たな挑戦

8/4(金) 11:46配信

フットボールチャンネル

 ジュビロ磐田からポーランド2部のオドラ・オポーレへの移籍が発表された松井大輔。今季は出場機会が限られていたものの、献身的にチームを支えていた。そんなベテラン選手が移籍を決めたことについて、名波浩監督や中村俊輔をはじめとしたチームメイトは「らしい決断」と納得している。(取材・文:青木務)

【動画】福西崇史がJ1前半戦MVPを選定!

●ジュビロに残る選択肢もあった

 チームに残る選択肢もあった。出会った仲間たちへの想いは強く、簡単な決断ではなかったはずだ。それでも彼はもう一度、海の向こうで生きる道を選んだ。一人のサッカー選手として、一人の人間として考え抜いた末に出した結論だった。

 ジュビロ磐田の松井大輔が、ポーランド2部のオドラ・オポーレに完全移籍することになった。今シーズン、磐田でのリーグ戦出場は7試合にとどまっている。メンバー外の悔しさも味わったが、負のオーラなどおくびにも出さず、チームのために日々を過ごしてきた。

 ベテランと呼ばれる選手が及ぼす好影響は、公式戦での活躍だけでは計れない。ピッチに立てなくとも、ベンチにいるだけで味方の士気を高められる。練習に取り組む姿勢やそこで見せる質の高いプレーは燻っている者を奮起させ、経験に基づく的確なアドバイスで周囲を導くこともできる。つまり、その一挙手一投足がチームの血肉となって活かされていく。

 そうしたプロフェショナルな姿勢を、名波浩監督もたたえる。

「(出場機会が少なくても)一切文句も言わずにやってくれていたし、こちらをリスペクトしてくれてもいた。気持ち良くやらせてあげられなかったかもしれないけど、不満の匂いさえも出さなかった」

 中村俊輔は、松井の存在に助けられた一人だ。横浜F・マリノスから移籍してきた背番号10は「すんなりジュビロに溶け込めたのはアイツのおかげ」と感謝を口にする。そして、日本代表で共に戦った盟友の決断をこう語っている。

「試合に出られないから(移籍する)とか言うような小さな男じゃない。自分のプレーや野心、そういう感覚を取り戻したいというか、輝きたいというのはあったと思う。悔いが残るのが嫌だったんじゃないかな。 ジュビロで終わるのが悔いなんじゃなくて、居場所があって幸せすぎるのが嫌、という言い方はしていた。アイツらしいね」

●引退後のことについて、名波監督からなされていた提案

 実は、名波監督は松井の引退後についてある提案をしていた。

「去年の年末に、『個人的には終身契約のような形で考えているから』という話をした。『引退した後もそのままジュビロ磐田の松井大輔として、アドバイザーなりアンバサダーとして働けばいいよ』というスタンスでいた」

 しかし、松井は一人のサッカー選手として新たな挑戦に踏み出した。それは誰にも阻めるものではなく、本人の意思が尊重されるべきだ。名波監督も「人間同士としては大輔みたいな可愛い奴がいなくなるのは悔しくて寂しいけど」としつつも、「アイツのサッカー人生。大輔らしく全うしてくれれば」と優しく背中を押している。

 名波監督を「親分肌で温かい人」と松井は言う。監督と選手という立場の違いを超えた関係にある両者だが、2人の距離が急速に縮まる出来事が過去にあった。

 2014年、磐田はJ2でもがき苦しんでいた。前年にクラブ史上初の降格を経験したサックスブルーは、1年でのJ1復帰を至上命題に戦っていた。松井は約10年に渡る海外でのプレーを経て磐田に加入し、出直しを図るチームを牽引する役目を担った。

 だが、思うように勝ち点を積み上げることができない。前田遼一(現・FC東京)、駒野友一(現・アビスパ福岡)、伊野波雅彦(現・ヴィッセル神戸)ら日本代表クラスを擁する豪華な陣容だったが、J2の舞台は一筋縄ではいかなかった。

 そして、シーズンも佳境に入った9月、名波監督が就任した。リーグ戦残り9試合の段階で指揮を任されたレジェンドは、建て直しに力を尽くしたが2勝5分2敗に終わった。状況を劇的に変えるには猶予がなく、また松井のことを深く知る上でも時間は足りなかった。磐田はリーグ戦4位で、モンテディオ山形とのJ1昇格プレーオフ準決勝に臨むことになった。

●名波監督との知られざる逸話。叩かれた監督室の扉

「就任当初にアイツと2人で話した時、『俺が連れてきた選手じゃないから、お前の“取扱説明書”が俺にはない』と言ったんだ」

 磐田の中心選手として長らくプレーした名波監督にとって、例えば前田、駒野、松浦拓弥といった面々は共に戦った後輩だからよく知っている。しかし、松井とは同じクラブに所属したことがなく、日本代表の選出時期も異なる。そのため、ヨーロッパから戻ってきた男がどのような人物なのか、指揮官はまだ把握しきれていなかった。

 ある日、監督室の扉を松井が叩いた。その時に交わされたやりとりが、今日に至る良好な関係を築くきっかけとなった。

「“取扱説明書”がなくてわからなかったんだけど、あの山形戦の前にアイツが俺の部屋に来て、『僕をスタメンから外してください』と言ってきたんだ。『いやいや、お前は主力だしエースなんだ。なぜならお前の発言、それから動き出しと、そういうスイッチがオンザピッチにもオフザピッチにもあるんだよ』と。そういう話をしてから、腹を割って話せるようになった。飯も何度も一緒に行ったし、そういう中でコイツは腹を割って話せる奴だと思えた」

 J1復帰を目指すチームのために松井がどれだけ心を砕いてきたか、名波監督はしっかりと見ていたのだ。

 結局、プレーオフでの昇格を目指した磐田は準決勝で山形に敗れた。GKにヘディングシュートを決められるというあまりに衝撃的な幕切れだったこともあり、未来が完全に閉ざされたような心境だっただろう。しかし、松井と名波監督の間に生まれた本当の意味での信頼関係がチームを照らす光となり、翌年のJ1復帰、昨シーズンの残留、そして現在の躍進に繋がっていった。

●若手MFと居残り練習の日々。W杯戦士との貴重な時間

 京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)で頭角を現すと、ヨーロッパでも足跡を残し、日本代表として2010年南アフリカW杯決勝トーナメント進出にも貢献した。日本サッカーの歴史に残るような選手との時間は、特に若手にとっては貴重なものだった。

 高卒3年目の上原力也は、JリーグYBCルヴァンカップ・グループステージ第5節・清水エスパルス戦でプロ初ゴールを記録した。PA内での巧みなボールタッチから右足を振り抜いてネットを揺らしたが、この一発には松井との居残り練習の日々があった。

「ダイさんと居残りでシュート練習をしてきたおかげです。あれをやっていなかったら、フィニッシュまで持ち込めなかったと思う」

 またこの2人は、5月の明治安田生命J1リーグ第13節・サンフレッチェ広島戦に向けた練習中に、競り合いで激突。松井は頭を、上原は眉の下辺りをそれぞれ5針以上縫う怪我を追った。

「一緒に病院に行って、隣のベッドで治療してもらって。『すいません』って謝ったんですけど、『俺も見えていなかったし、サッカーだからしょうがない』と言ってくれた。4時間くらい病院にいたんですけど、サッカーやプライベートのことをたくさん話せました」

 ピッチに立てば年齢もキャリアも関係ない。たった一つのボールを巡って真剣勝負を繰り広げる中で、アクシデントは起こりえる。上原もそれはわかっている。それでも、大先輩からの言葉は気持ちを軽くしてくれた。

●現状に満足せず挑戦の道を選んだ男の決断

 一見クールな印象を受ける松井だが、飾らない性格に周囲は惹きつけられている。大卒2年目の荒木大吾もその一人だ。

「食事にも連れて行ってもらったけど、物腰柔らかく、ゆるい感じというか。話をしていて、人生を楽しんでいるというのがわかるんです。本当に一番かっこいいと思う。自分の好きなことをやり続けて、カリスマ性もすごいし。ダイさんにだけはずっと緊張してました。喋るのは大丈夫だけど、一緒にプレーする時。やっぱりプレーをずっと見てきた人だから、かな。すごい人と一緒にやっていたんだなと改めて思う」

 プロサッカー選手として自身の力で道を切り拓く姿はもちろん、どのように生きるかという点も松井は重視している。

「日本ではできない経験が向こうにはたくさんあると思うし、言葉や文化を知ることが勉強にもなると考えた。良くても悪くてもいいと思う。人には色々な人生があると思うので、壁にぶち当たってももがきながら進んでいきたいなと。(磐田に)残る方が楽とは決して思わないけど、もっと厳しい方に身を置くことによって何かを得られたら、自分にとってそれが一番いいのかなと。

 サッカーを楽しむこともそうだけど、人生の楽しさというか光を見つけながら生活していきたい。向こうでは不自由なこともあるかもしれないけど、それを楽しみながら人生を進んでいければなと思う」

 尊敬され、慕われ、愛され……。どんな境遇であってもブレない姿勢、醸し出すオーラ、ピッチで見せる献身とファンタジー。その全てが、ジュビロ磐田の松井大輔だった。現状に満足せず挑戦の道を選んだ男の決断を、誰もが『らしい』と納得している。

(取材・文:青木務)

フットボールチャンネル

記事提供社からのご案内(外部サイト)