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【キセキの魔球04】ナックル以前に投げていた“魔球”

8/5(土) 11:40配信

週刊ベースボールONLINE

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語──。

「僕は1年たりとも同じピッチングはしていない」

 ナックルボールを投げる以前から、大家友和の持ち球は“魔球”と呼ばれていた。

 2010年4月、大家は古巣・横浜(現DeNA)ベイスターズで12年ぶりに日本球界復帰を果たしている。二軍の3試合で調整したのち、いよいよ5月2日神宮球場のヤクルト戦で先発。6回1/3を投げて6安打1失点と好投し、試合は4対1で横浜が勝って、大家は高卒ルーキー以来、実に16年ぶりとなる日本球界2勝目を挙げた。
 
 復帰したとき、“メジャー51勝逆輸入右腕”と新聞に書かれたが、実際、契約した横浜は彼がほんとうはどんな球を投げるピッチャーなのかを把握しきれていなかったのかもしれない。

 彼が球団を離れたのは、横浜が38年ぶりの優勝に沸いた1998年の秋。主に二軍で投げていた選手に優勝の実感はなく、ちょうどそのころの彼は、大阪の通天閣のてっぺんにあるビリケン像に「どうかアメリカに行かせてください!」と願掛けをしていた。

 アメリカに渡ったときは22歳で、戻って来たのが34歳。その間、日々身体を鍛錬し、日本に復帰したときには見違えるほど立派なアスリートになっていた。

 彼をスカウトした球団関係者も驚いた。

「以前とは身体つきがもうぜんぜん違います。風格もありますし、自信もあるのでしょう。向こうで身に付けてきたものもあるのでしょうね」

 肉体はもちろん変化しただろう。しかし、12年でいちばん進化したのは彼のピッチングだった。

「トレーニングとピッチングは別物ですよ。トレーニングだけしていてもアウトは取れませんから」と、彼は冗談めかしてよく言っていたが、日本の球界が大家はいったいどんな球を引っさげて戻って来るのだろうかと注目する一方で、大家自身もまた、日本の球界を唸らせるピッチングで自己表現する必要があった。

 アメリカで投げていたころ、彼は言っていた。

「僕は1年たりとも同じピッチングをしていないんです」

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