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失敗でクビ覚悟も「まさか」の昇格、妻や元上司リストラする立場に 亀田製菓社長

8/6(日) 8:10配信

NIKKEI STYLE

■佐藤勇社長(62)は1996年からベトナムの合弁企業に出向するが、売り上げ低迷に悩む。

 ※亀田製菓・佐藤勇社長の「私の課長時代」。前編は記事下の【関連記事】からお読みいただけます。

 三菱商事やベトナム国営製菓会社のハイハコ社などと合弁企業「ハイハカメダ」を設立し、米菓を生産しました。私は第一副社長として経営の指揮を執りましたが思うように米菓が売れません。というのも、現地のコメを使うと食感にムラが出て、米菓の品質が安定しなかったのです。地元の消費者の間で「おいしくない菓子」というイメージが定着してしまいました。

 その後、コメの調達先を変更し品質を向上させたのですが、一度離れた顧客は容易に戻りません。売り上げ低迷に歯止めがかからない状況は一向に改善しませんでした。

■業績低迷を受け、進出から3年で撤退を決断する。

 本社からは日本に戻る人事を打診されていて後任人事も決まっていました。しかし、ベトナム事業が立ちゆかなくなるのは明らかで、「後任に押しつけるのは申し訳ない」と思い、断腸の思いで撤退を決断しました。

 撤退を考え始めてから決断するまで約2カ月間、ほとんど眠れませんでした。最もつらかったのは従業員への撤退の説明でした。約150人の従業員を前に説明した際、一人ひとりのその後の生活に思いが至り、途中で言葉が出なくなってしまいました。申し訳ない思いしかなく、何度も頭を下げて謝罪しました。

 ベトナム撤退に伴う損失は1億円以上でした。責任を取るため、99年に帰国してすぐに首脳陣に進退伺を出しました。しかし、首脳の一人に「当社で失敗の経験者は君だけだから貴重だ。この経験を次に生かしてほしいので課長から部長に昇格させる。辞めることは認めない」と思いもかけない言葉をかけられ、会社に残ることになりました。

■亀田製菓は2000年3月期に創業来初の最終赤字に転落。経営企画部部長として再建に奔走する。

 赤字の原因は売上高1千億円を目指した人員体制でした。固定費が経営を圧迫していました。再建チームに組み込まれ再建策をまとめます。

 01年には総務部長として大規模なリストラを実行することになりました。当時、3200人いた従業員を2200人まで減らしました。自然退職もあるので実質的には約800人のリストラです。まずは社内婚だった妻、かつて働いていた上司や部下も対象です。つらかったですがやるしかありませんでした。このままでは労務倒産することが目に見えていましたから。

 会社人生を振り返ると損な役回りが多い気がしますが、悪い思い出ばかりではありません。リストラ策などが奏功し、亀田製菓の業績はV字回復を遂げました。苦しかったベトナム事業でも、当時の合弁企業で知り合った人脈を生かして副社長時代の13年にベトナムに再進出しました。かつての失敗を糧にした現在のベトナム事業は好調で、16年11月には同国で3カ所目の工場を稼働しました。当時の苦しさを知っているだけに非常に感慨深いものがあります。

【あのころ】 亀田製菓がベトナムに進出した翌年の1997年にタイでアジア通貨危機が発生。インドネシアやフィリピン、韓国などにも連鎖し、高成長が続いていたアジア経済は大混乱に陥った。亀田製菓などが設立したベトナムの合弁企業「ハイハカメダ」もアジア通貨危機の影響を大きく受けた。
 ※前編は下の【関連記事】からお読みいただけます。
[日本経済新聞朝刊2017年1月10日付の記事を一部再構成]

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最終更新:8/6(日) 8:10
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