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漱石の心も動かした風景画家・吉田博の回顧展

8/6(日) 18:10配信

サライ.jp

取材・文/藤田麻希

美術に造詣が深く、小説のなかでも美術に関して多く言及している夏目漱石。『三四郎』には、主人公の三四郎とヒロインの美禰子が丹青会という展覧会に出かける場面があります。

長い間外国を旅行して歩いた兄妹の絵がたくさんある。双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。
「ベニスでしょう」
これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。
(夏目漱石「三四郎」より)

漱石は、1908年に太平洋画会に出品された吉田博の「ヴェニスの運河」を見て、このシーンを書いたと考えられています。

この作品を描いた画家・吉田博(1876~1950)の大規模な回顧展が、東京・西新宿の損保ジャパン日本興亜美術館で開催されています(~2017年8月27日まで)。

吉田博は、明治時代から昭和にかけて活躍した風景画の第一人者です。その魅力は、色彩の美しさ、誰が見ても納得できる確かな画力に支えられた叙情的な画風、そして自らの殻を打ち破った人生にあります。

旧久留米藩士の次男として生まれた博は、上京して洋画家・小山正太郎が率いる不同舎で「絵の鬼」と呼ばれるほど研鑽を積み、頭角を現します。しかし、フランス帰りの黒田清輝が東京美術学校の教授に就任すると、黒田が結成した白馬会が主流になり、不同舎勢は劣勢に立たされます。黒田の門下生は次々と国費でフランスへ留学しましたが、博にはそのようなチャンスは巡ってきません。

そこで、横浜で自らの水彩画がアメリカ人に好評だったことから、アメリカ経由での渡欧を思いつきます。借金して手に入れた片道切符、1ヶ月分の生活費、そして描きためた水彩画を携えて、後輩の中川八郎とサンフランシスコに上陸。作品を持ち込んだデトロイト美術館で運良く展覧会を開催できることになり、博は一人で1064ドル、当時の小学校教諭の13年分もの額を売り上げました。本人は、絵が売れなければガラス拭きをやる覚悟だったといいますが、絵の対価だけでヨーロッパ行きの夢を叶えたのです。

パリ、ドイツ、スイス、イタリアなどを歴訪し、1901年に帰国。そして、わずか2年後には、絵を勉強中の義妹ふじをと共に再び太平洋へ。20代の大半を海外で過ごします。このとき訪れたヴェネツィアで描いたのが、さきほどの「ヴェニスの運河」です。

博は海外で印象派など、美術の最新事情を目の当たりにしたはずですが、その潮流に流されることなく、自らのスタイルを貫きます。後半生で取り組んだのが、水彩画や油絵で培った写実画風を、日本の伝統技法である木版画で表現することでした。欧米で粗悪な幕末の浮世絵がもてはやされている状況を見て、もっと新しい木版画が作れると考えたのです。

彫師、摺師を自ら抱え、厳しく指導しました。通常10数回のところ、平均30数回摺り重ねて、繊細な色分けやグラデーションを表現。ズレが生じるため困難を極める、大画面の作品にも意欲的に取り組み、20年間で250点ほどの木版画を残しました。

本展の企画を担当した東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館学芸員の江川均さんは、次のように説明します。

「吉田博は写実的な表現を軸にしながら、水彩画、木版画、油彩画の技法で風景画を描きました。生前から西洋の新しい表現がどんどん移入されてくるなかで、吉田博は洋画壇の表舞台から遠のいていくようになりました。しかしながら、モダニズムの流れとか、具象とか抽象とか、何が主流かという時代ではない現代においては、吉田博のような実力のある画家は見直されていくのではないかと思います」

昨年より全国を巡回した本展覧会は、東京が最後の会場になります。涼やかな山と水の風景をお楽しみください。

【展覧会情報】
『生誕140年 吉田博展―山と水の風景』
■会期/2017年7月8日(土)~8月27日(日)
※会期中に展示替えあり
【前期】7月8日~7月30日【後期】8月1日~8月27日
■会場/東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
■住所/東京都新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン日本興亜本社ビル42階
■電話番号/03・5777・8600(ハローダイヤル)
■開館時間/10時から18時まで(入館は閉館30分前まで)
■休館日/月曜日
■アクセス/JR新宿駅西口より徒歩約5分

取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』などへの寄稿ほか、『日本美術全集』『超絶技巧!明治工芸の粋』『村上隆のスーパーフラット・コレクション』など展覧会図録や書籍の編集・執筆も担当。

最終更新:8/6(日) 18:10
サライ.jp

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