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プロ2年目、松坂大輔がキラキラと輝いていた時代【2000年8月7日】

8/7(月) 11:10配信

週刊ベースボールONLINE

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月7日だ。

 先日、一部新聞で、「松坂がソフトバンクと来季も契約」という記事が出ると、一斉に揶揄するかのようなコメントがネットにあふれた。それもそうだ。昨季の一軍登板は1試合、今季はまだゼロ。高額の年俸をもらっているだけに、ファンならずとも「そりゃないよ」と言いたくなる。

 ただ、若いファンには彼の輝きの時代も知ってほしい。横浜高時代、西武時代、WBC2大会での活躍……。松坂大輔は、間違いなく、日本球界の至宝だった。

 2000年は、松坂のプロ2年目だ。甲子園を沸かせた“平成の怪物”はプロでも輝き、前年の1999年は高卒1年目ながら16勝5敗をマーク。最多勝、新人王を獲得している。

 しかし、この年は開幕投手を務めながらも故障に苦しみ、序盤戦は勝ち星を伸ばせなかった。当然言われるのが、『2年目のジンクス』だ。

 それでも7月に入り、エンジン全開。8月4日のオリックス戦で完投し、10勝目を挙げた後には、「今年10勝できないと言っていた人たちに『ざまあみろ』と言いたいです」と気の強いところを見せた。

 さらに、その3日後だった。オリックス戦(神戸)で、6対3と西武がリードして迎えた9回表。すでに野手17人を使い切り、二死満塁で西武の打順は投手のデニー。ここで東尾修監督が送り込んだ代打が松坂だった。DH制のパゆえ生かせずにいたが、実は、松坂は打撃にも非凡な才を持ち、高校通算14本塁打を放っていた。

 この日も緊急の打席でまったく萎縮することなし。カウント3ボール1ストライクから2球ファウルで粘り、7球目をセンター前に運び、2点適時打で勝利に貢献。策士で知られたオリックス・仰木彬監督も「実利とショーを兼ねた起用法やな」と苦笑した。

 9月で20歳となる松坂は、この年の夏にシドニー五輪出場のための離脱期がありながら最終的には14勝を挙げ、2年連続最多勝。キラキラとまぶしいくらい輝いていた時代だ。

 あれから17年が過ぎた。果たして、松坂大輔、最後にして最大に「リベンジ」はあるのだろうか……。

写真=松村真行

週刊ベースボール

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