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良くも悪くも三池映画だった実写版『ジョジョ』、出来はそこそこながら動員は苦戦…?

8/8(火) 1:30配信

おたぽる

 マンガ&アニメを原作とした実写映画の流行は今に始まったわけではないが、その製作作品数が増えていくにつれて原作ファンの怒りや不満などがネットを席巻していく傾向もすっかりおなじみの風景となって久しい。

 しかし、荒木飛呂彦の長寿人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』が実写映画化となると、さすがに他作品の比ではないというか、その出来栄えに対する不安(というよりも、そもそも映画化に反対する声明など)のコメントをSNS上で見ない日はないほど、ある意味での注目作として巷を賑わしており、また公開前にマスコミ試写を行わなかった宣伝展開も(スタッフ&キャストのインタビューを行う人には内覧試写があったと聞く)、強気の姿勢なのか逆なのか、いずれにしても興味は尽きない。

 というわけで、8月5日、都内の某シネコンで見てきました、はい。公開2日目、土曜の午後の回にも関わらず、場内は1~2割程度の入りで正直アレ? とも思ったが、この日は各地で花火大会や夏祭りが開催されていたので、そちらにお客をとられたのか?

 まあ、実際に観賞しての結論から先に言わせてもらうと、恐れていたほどひどくはなく、かといって過剰に期待するほどの傑作でもないといった、いわゆる五つ星で☆☆☆といった評価である。

 今回は大河シリーズでもある原作の中で日本を舞台にした第4部『ダイヤモンドは砕けない』の映画化であるが、まずはこの判断が賢明で、数年前の『進撃の巨人』実写版2部作のように、多国籍キャラをすべて日本人が演じるご都合主義が回避できている(その意味では、すべてを日本人キャストでまかってしまった『鋼の錬金術師』実写版は大丈夫なのだろうか?)。

『ジョジョ』第4部といえば、主人公の高校生・東方仗助の巨大リーゼントをはじめとする数々のキャラの特異な扮装も挙げられるが、これも原作そっくりのコスプレを俳優たちに担わせ、また演じる側もきっと『ジョジョ』が好きな者たちなのだろう、皆が皆楽しそうに、それでいて自分たちが『ジョジョ』を演じるという責任感から醸し出されるなにがしかの緊張までもが好もしく伝わってくる。これは現在公開中の『銀魂』実写版の俳優陣とも共通した要素といってもいいだろう。

 そして、これは良くも悪くもの要素だが、監督が三池崇史であること。TVやVシネマの苛酷な現場から、当時お高くとまっていた日本映画界を常に反逆的に見据えながら作品を連打し、いつしか業界の信頼を勝ち得てトップの座に君臨して久しい(それでいて巨匠の風格など微塵も示そうとしない)。そんな日本映画界の反逆児は、それゆえに漫画やアニメの映画化というかつては業界内部からも馬鹿にされがちだった企画に対しても真摯に取り組む術と意欲を身に着けている。

(余談だが、かつて人気漫画『ドーベルマン刑事』を原作にした同名実写映画が1977年に作られた際、監督の深作欣二は「映画が漫画より面白いということがあってはならない!」と豪語し、黒の革ジャンでマグナムをぶっ放す原作の主人公の設定を、なぜか沖縄から豚を連れて東京にやってきた見た目もみすぼらしいキャラに改変し、自分好みの作品に仕立てたが、当然原作ファンはがっかり、それどころか誰も見る気もしない、そんな作品になっていた。これが20世紀の漫画原作の映画化に対する映画業界人の基本姿勢であった)

 実際、本作のみならず三池監督が取り組んだ漫画原作映画の数々は、それこそカット割や構図まで漫画のコマに忠実であったり、自分なりに原作をリスペクトしながら展開させているものが多い。しかし、その割に『テラフォーマーズ』など原作ファンの怒りを買うものもまた多いのは、やはり彼の本質が映画作家であり、どんな原作も最終的に自分の色に染め上げてしまうからに他ならない。

 今回の『ジョジョ』も、三池監督がこの原作を気に入って演出しているのは、スタンド使いたちの闇の要素満載のバトル描写などから容易に読み取れる。三池作品の特色は、映画の闇そのものをいかに各作品のダイナミズムに転じさせていくかにあり、また原作者の荒木自身、映画評論を行うほどの映画好きで、特にホラー映画などダークなファンタ映画に対する傾倒は並々ならないものがあると聞くが、そういった双方の闇に対する憧憬はほぼ同じベクトルの方向を向いているといってもいいだろう。その意味では『ジョジョ』を映画化するのにふさわしい適材ではあったかもしれない。

 しかし、それでも三池監督独自のリズムやテンポ、どこかしら冷めた目線など、原作と相違する部分は絶対に出てくるし、原作をリスペクトすればするほどその違いは濃厚に見えてくる。

 全体の構造も、今回は全3部作の第1部ということもあって、単体で愉しめないことはないものの、やはりまだ描き切れてないキャラがいたり、謎を謎のまま残さざるを得ないドラマ構成など、作品そのものとして正当に評価しづらい部分があるのも確かだ。また今回は若干テンポのもたつきも感じられたが、それはシナリオに起因しているのかもしれない。

 ただ、今回はたとえば「スタンド」を含め、世界観の説明などをいざぎよく省いていることで、原作を知らないと意味がわからないのではないかと心配している原作ファンも多いようだが、逆に今回は第4部という途中経過の映画化ということもあり、むしろわからないところに興味を抱いたら、原作を読めと言わんばかりの挑戦的な姿勢も感じられ、それはそれで気持ちのいいものがあった。

 そう、今回は『ジョジョ』ワールドのほんの一部を映画化したに過ぎないのだから、あれこれ不明な点があっても当然。しかし、そのハンデを逆利用し、原作そのものへの興味を抱かせるようにしむけているのが、本作の最大の美徳であるようにも思えてならない。

 個人的に、仗助役の山崎賢人は健闘しているが、髪のことを揶揄されてキれるところなどは、もっと激しくやってほしかったとか、語り部の康一(神木隆之介)が意外にもう高校生には見えないとか、一方で第3部の主人公でもあった丞太郎役の伊勢谷友介はちょっと老け気味ではあるけどイメージぴったりとか、小松菜々演じる由花子は続編でちゃんと恐るべき個性を発揮してくれるといいなあ……などなど、いろいろ思案しながら見ているうちに、なんだかんだで入場料金の元を取れるほどには楽しんでいる自分がいた。

 とはいえ、かつてなら、こういうのは2本立てプログラムピクチュア作品として気さくに楽しむ類のものだったとは思うが、今のご時世そういうわけにもいかないし、やはり原作ファンの思い入れが高まれば高まるほど、良くも悪くも作品を冷静に評価させてくれないところもあるだろう。

「たかが映画じゃないか」とはアルフレッド・ヒッチコック監督の名言だが、三池監督も心根にこの言葉が据わっているように思う。しかし、原作ファンにとしては「たかが」ではすまされないはずだ。

 原作ものを映画化することからもたらされるさまざまな確執とは、永遠に続く問題なのかもしれない。

 ちなみに上映が終了して場内が明るくなった途端、前のほうの席に座っていたヒスパニック系の若い外国人女性ふたりが天を仰ぎながら“OH,MY GOD”と叫んでいた。『ジョジョ』は海外でも人気というのは本当だったんだなと、改めて実感。しかし、その叫びは一体何を表していたのだろう……?
(文=増當竜也)

最終更新:8/8(火) 8:52
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