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血縁に見捨てられた認知症の伯母【ある成年後見人の手記(1)】

8/8(火) 12:30配信

Wedge

 「松尾由利子さんが倒れ、脳の血管が切れて認知症となられました」

 2009年2月5日朝、単身赴任していた共同通信社大阪支社に出社間もなく、神戸市内の救急病院から電話。これで義理の伯母、当時86歳の成年後見人への道を選ぶに至った。

 2日後、病院に由利子を見舞う。車いすに座りぐったりしていた。それでも私が分かり「やっちゃん」と、か細い声で呼んでくれた。

 新大阪駅で買い持参した「いちご大福」を、看護師が小指の先ほどに切り食べさせる。いちごは、飲み下せない恐れがあり、捨てられた。「箸を認識できず、食事は手づかみ」と、ソーシャルワーカーの高田美恵(仮名)。

 危急の電話の主も高田だった。彼女が語る経過は……。

 ─―09年1月25日、バスの中で不快を訴え下車、停留所で動けなくなっているのを通行人が見つけ、救急車で搬入。由利子は、現金3万円と預貯金通帳、印鑑など貴重品を手提げ袋に入れ持ち歩いていた。

 高田は、所持品を手掛かりに神戸市内に住む血縁の2軒に電話したが、「関係ない」と、けんもほろろ。外信部次長時代の筆者、松尾康憲の名刺を頼りに東京本社に電話し、大阪に単身赴任中の私を手繰り寄せた─―

 「後見人になっていただけませんか? 身柄を引き取れとか言いません。受け入れる施設は、私が見つけ、その後もご相談に乗ります。拒否されるなら、神戸市長が後見人の選任を申し立てる選択肢もあります。でも、ご身内がなられた方が……」。成年後見とは、家庭裁判所から選任された「成年後見人」が、認知症になった人の預貯金の管理や不動産の処分などを行うとともに、福祉施設や病院の入退院手続きといった日常生活にかかわる契約などを支援する制度である。高田に、ぐいぐいと引きずり込まれていった。

 由利子は、筆者にとって亡父の兄の奥さん。夫は他界し子はいない。私とは血縁がなく扶養義務もない。

血縁はないが思い出を共有

 1959年秋に私が満6歳を迎える前に、由利子との最初の接点があった。私は東京都内で出生したが、2歳のときに両親が離婚。婿養子だった父が私を連れ郷里、広島県尾道市の実家に帰り、暮らすに至っていた。

 59年11月、父が33歳にして死去。家族、親族の女たちが号泣していた。その中の1人が由利子だ。その直前、父は死期を察していたのか、由利子に小遣いを託し私を近くの行楽地・千光寺公園に連れて行かせてくれたのを覚えている。実子のいない由利子はかわいがってくれた。

 尾道の家は印刷業を営んでいた。祖父が跡取りにと、神戸から由利子夫婦を呼び寄せていた。当時は都会と地方の生活差が大きく、朝食に紅茶とトーストを味わう夫婦はとてもハイカラに見えた。

 ところが、私が小学校1年か2年のとき、祖父と息子は家業の経営をめぐりいさかいを繰り返し決裂。由利子夫婦は神戸に舞い戻ることになった。その経緯は、私が子供だったため詳しくない。私は寂しくなった。

 少年期から思春期を迎え、私には、小さな町を出たくて出たくてたまらない思いが募っていく。18歳で神戸の公立大学に入り、日本育英会奨学金(当時)月1万2000円と新聞配達や家庭教師で自活して学生生活を送った。

 十数年ぶりに再会を果たした由利子夫婦に、大きな経済負担を掛けた覚えはない。だが保険外交員の由利子は、食事に招いたり、小遣いをくれたりした。義理の仲なのに嫌な顔もせず。多感な青年期にどれほど心温められ、孤独を癒されたか……。

 だから、今できる力がある以上は、独りにしておけない。

 義理の伯母である松尾由利子を実名で書いていくのは、彼女を巡る事態の推移が決して絵空事でなく確固たる現実であり、誰の身にも起きかねないことを分かっていただきたいからである。善良なる市民として勤労して過ごした末の最晩年に、認知症を患うのは恥でも何でもない。自らの軌跡の公表が、成年後見制度などの改善にたとえ一歩でも寄与するなら、伯母は本望であろうと確信する。

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最終更新:8/8(火) 12:30
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